小児がんと向きあう方々とともに…
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

僕のいまの死生観
2009年07月06日 (月) | 編集 |

こんばんは。しろ~です。

タイトルを観て、重たいタイトルだな…って
思った人もいると思いますが堅苦しく思わないで
さらっと読んでほしいなって思います。
っても、かなり長編の記事ですが…





最近、ある看護学生さんに卒業研究のインタビューを受けました。
そのインタビューの後、看護学生さんと生死や病のことについて
しばらく対話をしました。

病気のことは、私の体験をたくさん聞いていただいたのですが、
病や生きる事に対話してると、死についても話をしたくなったのです。

私は、学生さんに
「死をどのようにとらえてる?どう感じてる?」
って率直に聞いてみました。

その学生さんは、いきなりの質問に困惑していましたが、
「身近な方が亡くなった事や人の死に立ち会った経験がまだ無いんです」
と言ってくれました。
20代前半の人にとっては、経験の少ない方が多いでしょう。

そこで私は、
「人が死んだらどうなると思う?どう考えてる?」
と次に聞いてみました。

すると学生さんは
「どうなるんでしょうか…無になるのでしょうか…?」
と応えてくれました。
20代前半の人にとっては、真剣に考えることはあまりないでしょうね。
いろんな知識の中での死のイメージを並べて話されるより、
学生さんが素直な気持ちで率直に口に出した答えなのだと私は感じました。

日常生活でいろんな場所で死を意識することや、
生と死が隣り合わせにあって、自分が生きている事が
当たり前ではなくて、むしろ不思議なことなのだと
感じる人はそうはいないだろうな…と私は思いました。

私の場合、いつも死を意識して生きています。
具体的なたとえを言えば…
しろ~は高速道路を走っている時、
5秒後に事故で私は死ぬかもしれない…とか、
高所作業をしている時に、ここから落ちるかもしれない…とか、
ふとした瞬間に“死”が頭によぎります。

ネガティブな発想で考えているのではなく、
この場合は危険予知の範囲でしょうが、
安全への配慮を怠れば、必ず死がそこに待っている
といつも感じるのです。

私は、自分のいま思っている死後について、
学生さんにお話をしました。




私が死んだら自分の体はたぶん火葬されるでしょう。
体の水分は水蒸気になって空気に溶け込んで、
やがて雲になり、雨になって、海へと流れ、
この身は灰になって、土になり、大地へ帰っていく。

骨に魂が宿るわけではなく、骨壺に納められても、
数十年も経てば骨もやがて水のようになってしまう。

もし、火葬されなくて、この体が形を残していても、
生きているいまだって自然の一部だととらえるなら、
死んだあとの体もやはり自然の一部だと考えてます。

いま生きている私の体は、何処へ行くにもお金がかかるし、
時間も必要だし、移動すれば体は疲れるし、仕事休まないといけないし、
お土産とかにも気を使うし…いろんなことに縛られて、いろいろと不便です。

しかし、生きてるから苦労できるわけで、苦労してはじめて、喜びも感じれる。
苦労も涙も、感謝も、喜びも、笑い声も、この体が生きてるからこその生の証。
その生きているうちに積み重ねた経験や価値観がそのまま意識として、
死後も残るのかな…?だったら、生きている今を一生懸命に生きていこう。

しかし、ほんとのところ意識(魂)って死後はどうなるんだろう…?

死を迎えて、肉体から意識が離れ、生きている時のままの
意識を保って自分が死後を迎えたのなら…。

生きてるときには行けなかった世界中の国々や、
見てみたかった沢山の風景を、宇宙の星々を、
風になって、空気になって、水になって、火になって、
土になって、光になって、闇になって、旅したいなぁ…。

私を思い出した人、私の名前を呼ぶ人がいれば、
見えていなくても、そっと寄り添ってそばに居てあげたい。

私も、飼ってた生き物や、親しかった方、友人、
父親とたくさんの方々とお別れをしてきました。

自分と縁があって、亡くなったすべての方たちに、
私が思い出したときに、そばに来てほしい。
独り言で話かけたときに、私の言葉を聞いてほしい。
目には見えなくても、その存在を私は感じていたい。
だから…私もいずれ死んだときにはそう在りたい。


自分の寿命が長いのか短いのかは私にも、もちろん誰にもわからない。
どんな死に方を迎えるかだってわからない。
死に方も周りにいる人に残す影響がさまざまだと思う。
痛々しい、むごたらしい、悲惨な死に方は、僕も望まないし、
残される人にも悪い印象を多く残すかもしれません。

私は、たくさんの方々の死に縁があって死の残すものを学び、
そして父の病死を通して家族の立場での死を学んだ。



亡くなった本人も、家族も、死を迎え、受け入れるまでに
キュブラー・ロスの提唱している死の受容5段階を経験
するのではと私は思います。

キュブラー・ロスの死の受容5段階は、
医療関係者なら多くの方がご存じと思いますが、
このブログを読んでる皆さまにはなんだそれ?と
聞き慣れない方もいると思いますので、
簡単にですが記しておきます。

※医療関係者ではない私の表現の仕方で書いていますので、
  医療関係者の方の見識や表現は異なるかもしれません。
  あらかじめご了承ください。
  詳しく知りたい方は、エリザベス・キュブラー・ロスの書籍や、
  WEBなどで調べいただければと思います。


死の受容5段階とは…

死を宣告(余命の告知)された病人が死を迎え入れるまで、
否認 → 怒り → 取り引き → 抑うつ →受容(死の受容)
という段階を辿るということ。

最後の受容にたどり着くまで、上記の1~4段階は
複合的に重なったり、行ったり来たりもします。

第一段階の“否認”は
「自分が死ぬなんて!そんなはずはない!!」と否定をし

第二段階の“怒り”はどうしようもない、やり場のない怒りや憤りに
心(いのち)が乱され

第三段階の“取り引き”では、信仰の有無に関わらず、苦痛、
恐怖のない死を迎えたい、もう少し長く生きたいと神頼みをしてみたり、
医療従事者や家族などに取り引き(見返りや約束)を行い

第四段階の“抑うつ”は、死(病)を意識(感じる)して喪失感が増し、
人との別れや、今世への未練や死の恐怖などから抑うつ状態になり

第五段階の“受容”で、穏やかに、静かに自分の死を見つめ、死を迎える。

亡くなる人も、家族も、それぞれの立場で同じようにこの
5段階を経験しているように私は…感じました。

いま、生きている私は…最期の受容の時が少し先に
伸びているだけだとも受け止めています。

事故や、突然死で即死したら、こうした段階を踏まないのか?…
死に際の一瞬に全部巡ってくるのか…私にはわかりません。

以前にも書いたことがありますが、私は病で亡くなることって、
老衰などで静かに永眠するのに限りなく近いと考えています。

私や家族は静かに息を引き取る父の最期の姿にそう感じたのです。




でも、突然死や、事故死の方々だって、見る側、縁する側が
“気の毒だ”とか、“かわいそう”って思っているだけで、
生きている間にたくさんの人を救った善人が最後の最期に
悲惨な死に方をしたからといって不幸だと決めつけるのも疑問だし、
逆にたくさん人を騙し、殺し、いじめて、不幸にさせた人が、
安らかな死を迎えたからと行って、幸せな人生だったなんて
認めたくなんかないし…。
死に方だけで幸・不幸を決めつけている価値観そのものに、
私は誤りがあると思うし、不公平だと感じています。


「人は、生きてきたようにしか死ねない」
私は、その言葉を不思議と納得しました。

たくさんの人の死で学んだ事の点と点が線になり、
線と線が面になった気がしました。





日本人の文化や歴史の中で、死はいつも身近にあったはずなのに、
現代では死を語ることそのものがタブーのようになってるというか、
限られた環境や機会でしか語らない、語れない、触れないような気がします。
生きてる私たちは、必ずいつか死を迎えるのですから、
死を意識することはいまからだって早すぎるとは思えないのですが…。

そうそう

冒頭の看護学生さんから後日連絡がありました。

「人の死にぎわに接しました…」
同じ時間の中で、生きている人と
息を引き取った人、悲しみに落涙する人…
学生さんは、その死に接してなにを学んだでしょうか…



最後に…。

私たちSmileDaysのリーダーN氏は、
“小児がんの子どもたちと生きる”
という本のなかでこう述べています。

「死生観を、年齢に応じて養っていく必要があると思う…」と。

私も月日の経過と共に死のとらえ方は変化してきました。

これからも時間の経過とともに私の死生観は変化していくと思います。

ブログで死をテーマに記事を書くのはかなり勇気がいります。

思想や、育った環境の違いなどもあるので、賛否両論あるとは思います。
ただ、私は読んでいただいたみなさんが、死を日常のなかで意識したり、
まじめに考えてみるきっかけになればと思って書いてみました。



小児がんの子どもたちと生きる小児がんの子どもたちと生きる
(2004/10)
毎日新聞小児がん取材班

商品詳細を見る


星を見るたびに思い出す亡くなった友人がいます。
星を見るたびに思い出す亡くなった知人がいます。
星を見るたびに思い出す亡くなった父がいます。

昨年、天の川を見ました。
亡くなって、星になった方々を心に浮かべました。

明日は七夕ですね。


あなたは、自分の死を意識した事ありますか…?






追記

この記事を書き、掲載するまでに何十回と読み直し、
訂正して、訂正して、訂正して…それでもまだ至らない
ところがあると思います。
もっと、上手に表現することも、もっとふさわしい言葉も
きっとあるでしょう。

でも、今のしろ~にできる精一杯の想いです。
読み返しながら、目には涙がにじんできます。
至らない点…ご容赦ください。



おわり



スポンサーサイト

コメント
この記事へのコメント
ほんとうに…
とても大切な想いですね。

「死生観」
私は医学生の頃まで、ほとんど考えたことがなかった。
教えてくれたのは、一日一日を一生懸命に生きている
子ども達、そばで必死の思いで応援するご両親…。

一日の重さを、
出会いの重さを、知ったとき、
人生が変わったように思います。


明日の七夕、晴れると良いですね!

しろ~くんへ

明日は人助けをお休みに~!

それにしても、
危ない子どもからの変身~!
お見事でした~!!
2009/07/07(火) 00:29:34 | URL | Iせんせい #Lga8IBmI[ 編集]
ボスへ
久しぶりの長編でした。
いま読み返してもまだ文に
納得いかないところもありますが…。

また、次の機会にでも書きます。

明日は、織り姫と彦星の間を
若田光一さんが通過するかも…
2009/07/07(火) 00:39:33 | URL | しろ~ #SFo5/nok[ 編集]
私の気持ち…
しろ~さんへ
じっくり読みました。
まず、ありがとうございました。

白い生地に色を染め始めると色が
少しずつ変化していくのと同じで
心にじわじわと気持ちが伝わりました。

死って本当に何でしょうか?

10代には友の死を
20代には父の死を
30代には子供たちの死を
私は経験してきました。

しろ~さんが言っているように
“死”という言葉のとらえ方も
変わってきました。

10代にはただ悲しくて悲しくて
毎日が辛く明日が来なければ
いいっと思ったこともありました。

でもやはり時間とともに普通の
自分の生活に戻り友人は今でも
心に残っています。

20代の父の死は本当にショックでした。

叔父が死んだ日、父は血を吐いて家で
倒れそれを姉が発見して救急車で
地元でも有名な病院に搬送したけれど
そこでは無理だといわれ200キロ以上も
離れている大学病院に搬送し助かったもの・・・

それを聞いて翌日すぐ父のところに
向かいそのまま1週間トイレ以外には
そばを離れることなく看病し
(父は意識がなかったんです)
それがあの時私が出来る精一杯の
ことだったです。

意識も戻ってない父を残し、
地元に戻らなければならなかった。
今でも自分はその時のことを、
悔しくて悔しくて後悔しています。


その後意識も戻り、病気も回復し
一旦退院したけれどすぐまた
入院になりしろ~さんが言ったように
父は死の宣告を受け
(本人には告知できませんでした)
キュブラーロスの段階その物でした。

悲しかったです。
涙も出ませんでした。

20代には婦人科から子供は諦めて
くださいと言われていた私が、
運命的に命を授かりましたが、
流産の危険性高いから入院して!
と言われるくらい母子共に弱っていました。

でも命の強さを感じました。
母がこんなに弱ってるのにおなかの
子供の心臓は動いていたんです。

元気に生まれてきてくれたことに
本当にうれしく分娩台で涙を流しました。

30代は元気に育ってくれるのが一番と
思っていたわが子に病気が・・・。

子どもの治療をしている間、
同じ病棟の子供の死を
6人見送りしてきました。
ですが全部違いました。
私の感じ方も…

わが子のカルテを見ると、
レベルⅢとか酸素2リットルとか
血圧○○とか書いてある
時期がありました。
意識がないまま過ごした時間も
長かったです。

わが子は死ぬまでには至らなかったけど、
死に向き合ってきた私は、いつでも死に
対して考えてます。
もしこの子に何があったらと…

いずれが私も死を迎えるでしょう!

タイトルが…
あ!思い出した!
眉山って映画をみて死に対して
もう一度考え直したきっかけになりました。

私が死んだらしろ~くんと同じのように私を
思い出してくれる人のそばにいたいし
眼には見えないけれどそ~とそばで
心の話を聞いてあげたいです。

私を大切にしてくれた人に苦しく
ないように新鮮な空気になり、
暑い時には風になり、疲れた時には
大きな木になり陰を作って休める場所を
作ってあげたいです。

看護学生は実習中に患者の死を経験
することは、めったにないでしょうね。

しかし、全員が死に対して考えてないと
言う訳でもないです。

学生の中には、親や親族を病気や
事故などのなんらかの理由で死と
向き合う経験をしたことがある人や、
いつかはわからないけど、
病気で自分の死と向き合う人が
(いるかいないかわからないけど)
いると思います。

親族には悲しみはあるけれど、
やがて時間が解決してくれる。

でも親の場合は違う。
年齢と関係なく悲しみや苦しみは
計りきれないものです。

現実を受け止めながらも時間は流れ、
悲しみはなくなるもの死に対しての恐怖感は
無くならないのではないかと思います。

いつか死が訪れる。
病気と闘う人は命の大切さや、
毎日生きることに感謝し、
人との出逢いや、出逢った人との
関係を大切にするでしょう?
しろ~さんのように…


以上私の気持ちでした。



2009/07/07(火) 01:45:33 | URL | 姫 #SFo5/nok[ 編集]
姫さんへ
伝わりました。
姫さんの気持ち・・・。

しろ~くんの記事とともに、
何度も何度も読み返しました。

そして、やっぱり同じように
じわじわと心にしみてきて、
心があつくなりました。


ブログを通して、こういうお話ができること、
すごいですね。
感動です。

今日の七夕・・・・
こちらは、厚い雲に覆われているようで、
天の川も、
宇宙ステーションも見えなさそうですが、

2009年の七夕に、
生と死について考えて、
とても厳かな気持ちになったこと、
忘れないと思います。

姫さんとの出会いに、
心から、感謝します。
2009/07/07(火) 19:54:14 | URL | Iせんせい #Lga8IBmI[ 編集]
ありがとうございます。
しろさんへ

何度もコメントを読んでいただき本当にありがとうございました。

死に対してはひとそれぞれで価値観も違いますからね。

毎日朝を迎え一日を過ごせれることに感謝しましょう!

皆様に今日も幸せがいっぱい訪れますように・・・
2009/07/08(水) 14:50:49 | URL | #-[ 編集]
みなさまへ
こんばんは、しろ~です。

姫さん、そしてボス、コメントでのやりとりに、
私も心が温かくなりました。

そして、拍手をくださった皆さん、
ありがとうございましたv-410

この記事でコメントやみなさまからの
応援の拍手をこんなにいただけるとは
思ってもいませんでしたから。

アクセス数も急上昇でした。
みなさまの“死”や、死生観、価値観への
関心や想いを私も受け止めました。

またいつの日か、こうしたお話を
書かせていただきたいと思います。


最後に。

苦難や悲しみが、私を強く、たくましく成長させてくれ、
生きている今を笑顔で楽しく“生きる”ことを教えてくれました。

その体験を、自分の心を一人でも多くの人に、
これからも語っていきます。生きているかぎり…。








2009/07/10(金) 01:18:12 | URL | しろ~ #SFo5/nok[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
コメント:
パスワード:
非公開にする: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。