小児がんと向きあう方々とともに…
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私と白血病 その1(しろ~の闘病記のあらすじ)
2008年05月12日 (月) | 編集 |

しろ~です。

いきなりですが…

ぶっちゃけたことを申しますと…
SMILEDAYSの中で しろ~ は…

ごく最近まで存在のあまり知られてないメンバーでした。
スマイルデイズのメンバーからは、
「誰??どんな人??」って言われる事もけっこうあったり

なぜかと言えば、“多忙”の為でして。
スケジュールが合わなくて、スマイルデイズの集まりなどに
ほとんど参加できなくて、ホントにごく最近、
このブログや韓国への訪問をキッカケに
活動をはじめたばかりなのです。

そこで、私のことを紹介する意味も含めて…

そろそろ、自分の闘病記を書いて残しておかねば。
と思い続けて、ようやくその時を迎えました。
4月6日の記事でも予告してましたので(もう1ヶ月経ってるし)
今から書き始めます。
とりあえず今回は、全体のあらすじ…とでももうしましょうか。
ひとまず、全体をお話してから、細かいところを後々紹介したいと
思います。

※前置きがダラダラしてごめんなさい。






★プロフィール
1978年生まれの現在30歳。
6歳の時に急性リンパ性白血病を発症。
3年間の化学治療(放射線治療はしていません)を経て、
20歳まで経過観察。白血病を克服(寛解)する。

★私と家族
発病前の私の家は、大貧乏でした。
父の経営するお店の従業員が、父が病気で倒れて
入院している間に客先へ集金にまわり、そのお金を
持ち逃げしたために負債を抱え経営が困難になって、
廃業したためでした。

という事情があって家の中は、弱肉強食のサバンナ状態。
食べる事にもホントに苦労した家庭環境でした。

両親は男4人の兄弟+里親として孤児の兄妹2人を
育ててましたので、合計8人の大家族。
(※しろ~は4人兄弟の末っ子)
+たまに知らない人も転がり込んで、
貧乏だけどいつもにぎやかな家でした。

電気・ガス・水道のライフラインが地震とかの災害じゃなく、
ただ単純にお金が払えなくて止まるのは、いつもの事。
ろうそくで夜を過ごした事も、公園に水を汲みに行った事もありました。
※この当時はそんな貧乏さんもわりと多かったと思いますが。

★白血病との出会い。
4~5歳の頃まで、股関節の骨にペルテスを患って、入院。
退院後も足に負担をかけないように、保育園に通う時は歩行補助装具を着用しての生活。
いつもバカにされて、追いかけるけど追いつかなくて…。
悔しい思いもたくさんしました。

小学校入学前に歩行補助装具もようやく外れて、1984年小学校へ入学。
フツーの小学生でいるはずだったけど、夏休みの8月中旬頃から頻繁に
鼻血が出るようになった。

そして、同年10月31日
この日は学校でお祭りがあって、出店で釣ったザリガニを手に持って
学校の敷地で下校中に貧血をおこして倒れ、そのまま病院へ。
※同級生に発見された。

血液検査で異常があり、白血病と診断される。
数日後に北九州では治療できる病院が無くて、
久留米大学病院まで救急車で搬送される。
(※ザリガニも一緒に…)

朦朧(もうろう)とする意識の中で、自分に何が起きてるのかを
理解できぬまま様々な検査を受ける。

通称“マルク”と言われる骨髄穿刺(こつずいせんし)を受ける。 
腰の骨に太い針を刺して、骨の中にできている骨髄を採取する
かなりの激痛と恐怖を伴う検査を意味もわからずに連日やる。

1番上の20歳の兄が俺の過酷な治療を見て、
ドクターと話をして、両親の反対を押し切って、
「意味もわからないでこのまま治療は続けられない」
と私に告知をする。

兄の告知を受けてからの私は、「死にたくない」と思うばかり。
同じ部屋にいた子が、朝にはいなくなったりしてたのを
見ていたからなおさら怖い。
次第に寝るのも怖くなる。
「朝、本当に目が覚めるだろうか?」と。

★大切な出会い
当時は白血病は不治の病とまで言われていた。
医者も「治ります」とは軽軽しく言えない時代。
私のまわりにいる大人の誰もが「治る」って言えなかったけど、
ある人との出会いが私に勇気を与えてくれた。 
まっすぐな目で私を見つめて、「大丈夫!必ず治るからな!」って、
言ってくれた言葉に、私はこの言葉を信じようと思った。
その人物との出会いから、「死にたくない」は生きたいに変わった。

★失った仲間、友人たち
私は1ヶ月に1度、外来へ行って検査後に1週間入院して、
残りの3週間は自宅療養をする治療が3年も続いた。
治療をしてる期間に仲良くなった友人達ともたくさんお別れがありました。

★克服~生き方の迷い~心こそ大切
10歳の秋、治療のスパンとして3年間の化学治療を受けた私は、
治療後の経過も異常なく、白血病を克服する事ができました。

小学校・中学校・高校とハッキリ言って勉強に頭がついていけない、
体力も運動神経も人並み以下。
長い事イジメの対象になる(※もちろんイジメる奴が100%悪い)
楽しい学校生活とは言えなかったけど、でも学校には負けずに通う。

コンプレックスをバネにしたくて、高校生の時から、人とは違うところで
自分を鍛えようと様々なことに挑戦した。
でも、何をやっても満足できない。なにか違う。と思うばかり。
病気を乗り越えてから月日は過ぎて、もう辛い事は忘れたい。
そんな気持ちも多々ありました。だけど次第に、
「俺はなんで生かされたんだ?俺に何かもっとやらなくちゃいけない事があるのか?」
と思う事が胸の奥から湧きおこって、私を悩ませました。
でも、あることがキッカケで答えがわかった…。





病気を通して、苦しい事や辛い事を乗り越えていくと、
それが大きな成長の糧になることを
改めて最近感じます。

勉強が追いつかなかったり、体力が無かったり、
コンプレックスもたくさんありました。

だけど、それに負けてばかりな自分はイヤなので、
様々な事へいままで果敢に挑戦してきました。

成長していくなかで、当たり前の日常が、
とても大切な時間であると気付いたり、
生も死も隣り合わせで自分のそばにあることを感じたり、
ささいな事が幸せで楽しめる価値観を得たり、
人の痛みがわかる優しい自分に変わったり、
深い感謝の気持ちが素直に出せたり…。

そして、成長した自分を通して、家族や、
また自分の人脈にも大きな影響を与えていくんです。

そうした経験が人の役に立ち、自分の存在価値を高め、
人に頼られる自分へと変化をもたらしてくれました。

無駄かもと思うような苦労も、必ず自分の役に立つのですから
避けないで、受けきってほしい。
その事を、コレを読んでる方や経験者のみんなにも伝えたい。
そう思って、この記事を書いています。

30年の人生で私が経験したことが、一人でもいいから
誰かの役に立つなら、希望になるなら…。

2008年4月8日 久留米大学病院 新入生オリエンテーションで
お話した内容から抜粋して、追記・引用した全体のあらすじです。

次回以降、このあらすじに沿って、少しずつお話をしていきます。


記:しろ~



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