小児がんと向きあう方々とともに…
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挑戦者
2008年08月29日 (金) | 編集 |
どーも、しろ~です。

8月30日・31日は、24時間テレビ「愛は地球を救う」
の放送があります。

番宣してるワケではないですが、今日、日テレの深夜報道番組の
“ZERO”で脳性マヒのために両手両足が不自由な画家の青年の
ことが紹介されていました。

24時間テレビ「愛は地球を救う」の今年のパーソナリティを勤める
嵐(ジャニーズ)のリーダーの大野さんが企画する巨大オブジェの
作成のために、その青年がメンバーとして加わっているとのことでした。

その青年は、口に筆をくわえて絵を描くのですが、観てみると、まさに芸術!

彼が画家としての道を決めたきっかけも、彼の書いた絵があまりに
上手だったので、観せた人たちから、「別の人が書いた絵でしょう?」
と疑われたほど、上手に描けてたことから自信がついたのだそうです。



さて、なぜこのブログでその話をするかと申しますと。


その青年が、最後に言った言葉に、共感したからです。

彼はこう言いました。

「私のまわりの障害者には腰の重い人が多い。
私は、そうした彼らに、やればできる。 障害者だから、
人と同じ事ができない事もあるけど、自分にしかできないこともある!
ってことを、自分の活動をとおして訴えていきたい」と。
(うろ覚えですが…)



しろ~には、筋ジストロフィーの友達がいます。
その友達も、口で筆をくわえて、上手に絵を描いてました。
今は、描けなくなってしまったけど、彼の作品を初めて観たとき、
鳥肌が立つほど感動しました。


今日のTVに出ていたその青年と、私の友達が重なりました。


その二人に共通しているのは、「自分への挑戦者」ということです。


「自分にしかできない事がある!」
それに気づいた人は、とても輝いてる。
私はそう、思うのです。

“ZERO”のメインキャスターが
「アメリカなどでは、障害者にチャレンジャー(挑戦者)との
言い方をするようになりつつある。
障害者とは、神から挑戦するチャンスを特別に与えられた人
なのだとの考えが広まっているからです。」
と、締めくくりに言ってました。(これも、うろ覚えですが…)



小児がんの患者にも通じる言葉じゃないかな?
って、思いました。

「自分にしかできないことがある!」

私も、この言葉をいつも心の中に持っていました。
このブログでの私の発言もそのひとつです。


明日は、“ZERO”の中で、骨髄バンクの現状についての
ことが少し取り上げられるようです。
(定かではないです。聞き逃してたしまったので)
明日も、“ZERO”を観てみよっと。



あっ、それと…。

8月29日(今日ですね)の毎日新聞に、7月25~27日に開催された、
“スマートムンストン”の記事が全国版で掲載される予定です。

皆様、良かったら読んでみてくださいね。

ちなみに、新聞に掲載される写真は、私たちSmileDaysのメンバー
“Tくん”の撮った写真になってると思います。(そのはず!)
そこ、注目です!(笑)

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忘れられない日。
2008年08月27日 (水) | 編集 |
みなさま。
大変ご無沙汰しております
なおちゃんです。


コメントでは旅の途中の足跡を残したりもしましたが
久々に記事を書こうと思い、只今パソコンにむかってます




なんだか今日は書かずにはいられなくなって。。





私にとって、今日は一年で一番大切な日なんです









今日、8月27日は、私が骨髄移植をした日です。

移植当時(当日)は、朝の9時から夜の10時までかかりました。
長かったなぁ。


あれからもう、今年で1●年が経ちました。

月日が経つのはとっても早いモノです。
私のもうひとつの誕生日でもあり、
毎年この日は私にとって“忘れられない日”となっています。




最近、自分が当時治療していた頃の治療サマリーを手にする機会があり,
その中に移植したときの概要が書かれていました。
かなりいろいろあった当時でしたが、
もう1●年も経ってしまったのかぁ・・・と思うと
こうして生きていることがなんだか不思議です。
たくさんの方々に支えられた中で今の自分が在ることに・・・
もう感謝しきれるものではありません。



また、忘れてはいけないのが“足ながおじさん”の存在
ドナーは当時、30代の男性とは聞いていました。
それ以上は骨髄バンクの規定によって、お互いに状況を知ることはできません。


名前も顔も知らない方から生命をもらったということで、
1●年前の今日から、その方を“足ながおじさん”と呼んでいます






そんな移植当時の事を綴った作文も自分でいろいろ書きましたが・・・、
今日は私の家族の記事をご紹介させて下さい




8月15日の記事に医療ルネサンスの事が書かれていましたが、
読売新聞主催で“心に残る医療”というテーマで
作文コンクールが毎年行われています



治療当時は自分が治療することしか考えていませんでしたが、
この文章を読んで、
“あの移植当時、母はこんな思いで看病してくれていたのか・・・”と、
家族の思いを改めて知ることができました。



しかし・・・入選してはじめて

“E(←私)のことを書いて作文応募したから~!”と言う母親(=_=;)
そんな楽観的なのがウチの母です

本人の承諾も無しに勝手に書いて・・・(>_<;) 
という思いもありましたが、まぁ結果往来(^^;)
後から作品の内容を読んでみると、なかなかよく書けてました (^-^*)


そんな作品をこの場を借りてご紹介させて下さいm(_ _)m







“夏がくれた新しい生命”

 それは夏の真っ盛り。十歳の娘は骨髄移植を受けるために、
家から三時間の所にある病院に転院しました。
四歳で白血病と診断され、抗がん剤や放射線治療の効果があって、
一度は人並みの学校生活も楽しめた後の再発でした。

 小児病棟に着くとすぐ、娘に優しく語りかけるように、
小児科のスタッフ全員の紹介がありました。主治医だけでなく、
スタッフ全員が娘のことを気にかけて下さるのだという安心感を覚えたものです。

 そして、主治医から娘に対して告知をしたいという申し出がありました。
「十歳の子が一人で無菌室でのつらい治療に耐えるためには、
本人が病気を治したいという強い意志が必要です。
わかりやすい言葉で説明して、本人の意志を確認したいのですが、どうでしょうか」
ということでした。
私たちは、それまでに病名や簡単な病気の説明はしていましたが、
主治医の真剣なまなざしと、その奥にある優しさを感じて、提案を受け入れました。

 主治医は体の絵を使ったり、実際の無菌室を見せたりして、
わかりやすい言葉ではあるけれど、ごまかさずに説明してくれました。
娘の口から
「骨髄移植を受ける。
 そして、あの吐き気のする点滴をもうしなくていいようになりたい」
という言葉が出ました。
親としては、移植への不安はありましたが、
娘が治療に対して自分の意志を持つように支えて下さる、
医師の温かさを感じずにはいられませんでした。

 そして、移植へ向けて、親から離れて自分一人で薬を飲んだり、吸入をしたり、
無菌室内での闘いに耐える準備の一か月が始まりました。
自分の消化器系の殺菌をするためのヨーグルト状の薬は、
何度も吐いては飲み直しが続き、つらそうにしていましたが、
甘い言葉はかけられませんでした。
それでも、同じ病棟の子どもたちとの楽しみを見つけた娘は、
家から遠く離れた病院で、一人の入院生活をしばらく続けました。
三人の妹弟に会える日を楽しみにしながらの一か月でした。

 「朝晩の人通りが少ない時に、病棟の外を散歩してもいいよ」
という主治医の言葉に、病棟の子どもたちは、
集団で涼しい風を求めて散歩をしていました。
点滴スタンドを押しながらの子もいれば、車いすやベビーカーを押す子もいました。
それぞれが病気を持ちながらも、助け合いが自然にできていました。
医療担当者の優しさが、子どもたちに伝わっているのでした。

 いよいよ移植の日、骨髄バンクを通して見つかったドナーの骨髄液が、
無菌室内の娘の体に一滴、一滴入っていきました。
ガラス張りの無菌室の外から、その一滴の重みに言葉が出ませんでした。
バンクができて、ドナーが見つかる日を夢見ながら旅立って行った患者さんや
その家族の思いが詰まった一滴、一滴でした。
前日までは、前処置の抗がん剤と放射線の副作用で、
日に十数回もおう吐し、ぐったりしていた娘も、
移植当日は起き上がって、ガラス越しにピースサインを送れるほど元気でした。

 ところが、ヨーグルト状の薬を吐き続け、ぐったりと横になったまま、
つらそうに涙を流すようになるまでに、そう時間はかかりませんでした。
ガラスに手を当てて、
「お母さん」と、泣き続ける娘の手をどれだけ握ってやりたかったことか。
そして、吐いても吐いても薬を飲ませる看護婦さんに、
「どうか静かに寝かせておいて下さい。あんなにつらそうにしているのに」と、
言いたくてたまりませんでした。
私はどのくらい悲愴な顔をしていたのでしょうか。
婦長さんから「お母さん、朝風呂の準備をしましたよ。
それから、病棟用の自転車がありますから、少し散歩をして来たらいいですよ」と、
声をかけられました。

 実は、娘の苦しむ姿を見ても、
手ひとつ握ってやれない自分に耐えられなくなっていた私は、
勧められるままに、風呂に入り、逃げるように自転車で病棟を後にしました。
どれだけ走ったでしょうか。
夏のにおいのする風に包まれて、遠くには濃い緑の山々がありました。
堂々とした太陽が力強く輝いていました。訳もなく涙が止まりませんでした。
病棟に帰ってみると、鬼のように見えた看護婦さんと娘が、
無菌室内で殺菌した紙と鉛筆を使って五目並べをしていました。
看護の厳しさと優しさを知ったような気がしました。

 娘が無菌室を出る日の早朝、病棟の外に出てみると、
太陽の光が地平線から差してきました。
そして、少しずつ少しずつ、
辺りは生命力に満ちあふれた暖かい光でいっぱいになりました。
そこには、両手を合わせて無心で拝んでいる私が居ました。
気が付くと、何人もの患者さんたちの拝む姿もありました。

 「車いすで、外に出てみていいよ」と、主治医から言われる日が来ました。
大きな木々に囲まれ、自分の足で大地に立った娘は、
「うそみたい。外に出られる日が来るとは思わなかった」と、
満面の笑みを浮かべたのでした。




ハト ポッポ~
2008年08月26日 (火) | 編集 |
どもども、今頃に夏バテぎみの しろ~です

暑さに慣れてきたと思ったら、もう朝晩は涼しくなってきましたね。
日が落ちると、虫の鳴き声もたくさん聞こえてきて、秋が近いのを
感じています。


とくに鈴虫の鳴き声は、少し冷たくなった風の音といい感じでコラボしてます。

少々気の早いコスモスがいくつか咲いてるのも見つけました。
コスモスが満開になる頃が楽しみです。

さて、今回は夏の終わりのこの時期に、ぜひお話したいことが
ありましたので、記事にさせていたきます。

ちょうど、このくらいの季節の出来事だったと思うのですが、
ちょっぴり切ないお話を今日はしましょう。




今から、10年以上前のこと。

私は、高校への通学にJRを利用していました。

乗り換えで、駆け込んで飛び乗った快速列車。

息を切らして、吊り輪につかまった私は、呼吸が落ち着くのを
待ちながら、車内を見渡しました。

わりと座席にも空席がまばらにあって、次の駅に着いたら
座席に座ろうかな。なんて、思っていたとき…。

「キャー!」

どこからともなく、悲鳴が聞こえてきました。

「なにごとだっ!?」って、思いながら、悲鳴のする方に目を
やると、私の顔に向かって、何かがこちらに飛んできました。

とっさに頭をかがめると、その“何か”は、私の頭上をかすめるように、
飛びながら、近くの座席の背もたれのうえに着地しました。

ハト です。

駅から列車が出る間際に、車内に迷い込んできたようです。

そこにいた誰もが

「なんで車内にハト?」

って顔をしていました。

ハトは、豆鉄砲を食らったようなオドオドした様子で、車内を
あちらこちらへと飛び回って逃げています。

飛び回るたびに、車内からはさまざまな悲鳴が聞こえてきます。

そこへ、一人の壮年が無言でテクテクと私の横を通り過ぎて、
座席の手すりにとまったハトの背後にそろ~っと、両手を胸の
前でかまえてハトににじり寄っていきました。

そして、次の瞬間!

ハトをナイスげっとぉー!!!
一発でハトを捕まえたおっちゃんに、車内のみんなが驚いた。

「おっちゃん、すげっー!!
っていう感動の気持ちが車内のみんなに波紋のように広がりました。



すんなり捕まえれた安堵感と、達成感に満ちたおっちゃんの背中には、

まるで、大きな仕事を成し遂げた、プロジェクトX ばりの熱い魂をもった
男のオーラのようなものを私は感じました。

そのおっちゃんは、真剣なまなざしと声で、次の課題に取り組むべく、

「お姉さん、そこの窓を開けて!」
って、言い放ちました。

目の前に座っていた若い女性は、そのおっちゃんの一言に少し動揺しながらも、

「あっ、ハイっ!!」

って返事して、すばやく窓を開放しました。

おっちゃんはハトを捕まえた手を、窓ぎわにもっていき、

そのハトをキレイな青い、自由な空へと羽ばたかせるために、

窓の外へハトを放り出しました。

おっちゃんの手からハトが離れた瞬間、車内のみんなが、

「よかったね

って、思ったその瞬間!!」



「ぷゅああアアぁあぁぁぁぁぁぁぁ~ん!!」

って警笛音とともに、その窓の方を特急列車が轟音ですれ違いました。

車内のみんなの時間が一瞬止まりました

「今のハト、もしかして…」
特急列車が通り過ぎ…。

豆鉄砲を喰らったハトのように、みんなの顔には、不安な表情が
浮かんでいました。

「もしかして…はねられた????」

誰も、口には出せないけど、みんながそう言いたいのが痛いほど
伝わっていきます。 私もそう思いました。

窓を開けた女性は、硬い表情でなにも言わず、窓を閉めました。

ハトを捕まえたおっちゃんは下を向きながら、無言で、手を払いながら、
自分の座席に戻っていきました…。


そして、車内は何事もなかったかのように…、
いや、通常の列車の中よりももっと静寂に満ちたように、
静まり返ってしまいました。



あのハト…、ポッポッ(列車)にはねられたのか?
それとも、自由の身になれたのか…?

その真相は、ハト自身と、通りすぎた時に突然、
対向列車の窓から飛び出してきたハトを見たであろう、
特急列車の運転士しか知らないはず…。



夏の終わりの、ちょっと切ないお話でした。

※ノンフィクションです。





過ぎ行く夏を惜しみつつ…
2008年08月24日 (日) | 編集 |
早いものですね。
昼間はまだまだ暑いものの、
この数日は、朝晩ぐっと涼しくなり、
せみの声が小さくなって、
いつの間にか、鈴虫の声…。

8月もあと1週間、
夏の甲子園、
オリンピックも終わり...、
暑かった夏も,終わりますね。

暑いのはいやだ~って、思っていたけれど、
季節の変わり目には、
なんとなくセンチメンタルな気持ちになります。

ところで、夏休みの宿題は終わったかな

夏休みの最後の1~2日に頑張りすぎて、
体調を壊す人が毎年何人か出現します

どうぞ、体調管理には、くれぐれも気をつけて、
残りの夏休みを楽しくお過ごしください


by Iせんせい



星野JAPAN がんばれ~っ!  ~私の好きなもの(人) その2~
2008年08月22日 (金) | 編集 |
こんばんは、Iせんせいです。

金メダルをとった、ソフトボールにつづけ~!
と、昨夜、野球応援の記事を書いている途中で、
不慣れな私は、せっかく書いた下書きを全部消してしまいました。
その後、書き直す元気と時間はなく。。。

星野さん、ムネリン、ごめんなさい
あ~、私がわるかった~
って、今ほんとにあわてて、記事を書いてます。

銅メダルをかけて!明日は、是非頑張ってもらいたい。
みんなで、応援しているからね~


6月のムネリン(ソフトバンクホークスの川宗則選手)のお誕生日に書いた美談を、
再び書かせてもらって、私からの応援メッセージにしたいと思います




福岡に、待望のダイエーホークスがやってきて、しばらくたったころ、
オフシーズンの12月に、選手たちが小児病棟を訪問してくれるようになりました。

最初に病棟に来てくれたのは、
今はジャイアンツにいる大道選手でした。
6~7回きてくれたんじゃないかな。
いつも若い選手を3~4人連れて来て、子どもたちと遊んでくれ、
お母さんたちも交えて 楽しいジョークで笑わせてくれたり、
写真撮影、サイン。。。と、サービス満点でした。
(大道選手は、ユニフォーム姿より、私服のほうが断然かっこいいですよ

来てくれるようになったきっかけは、お世話になった方の子どもさんが
久留米大学病院の小児科病棟に入院していて
励ますためだったそうです。

でも、選手たちの方が、逆に子どもたちからパワーと元気をもらって、
その後は自発的に来てくれるようになりました。
大道選手、岡本投手(優勝のころのメンバー)が常連でしたが、
二人ともいなくなって。。。。
どうなることかと思いましたが、
それでも、ソフトバンク・ホークスの若手を中心に、毎年必ず来てくれます。
最近は、馬原投手とか。。。
ムネリン(失礼)川選手もまだ2軍の頃、
一度だけ来てくれました(会ってないです。。。私)。


ムネリンが、1軍に定着して活躍しだした頃、
イケメンに目がない私は、たちまちムネリンファンに
そんな頃、私も負けそうなくらいのムネリンファンの
かわいい女の子が入院していました。
二人でキャッキャと、ムネリンの話。
状態が悪化していく彼女を何とか元気づけようと、
ムネリングッズを取り寄せ、病室にはポスターを貼りまくってました。

それでも、どんどん状態が悪くなっていく彼女の元に、
なんと、お忍びでムネリン参上
(いぇ、私は会えませんでしたよ)
優しいお兄さん風のムネリンと輝くような彼女の笑顔の写真
今も私の医局の机の横に飾っています。

び~っくりするように、その後彼女は元気モリモリで、
ほんとに奇跡が起こったかと思いました。
ムネリンのおかげで、おだやかな良い時間を過ごすことができました。
でも、結局ムネリンとのご対面から半年後に
お星さまになりました

彼女がお星様になったことは、ムネリンも知ってるって聞いてました。
可愛いファンを亡くしたムネリンはとってもショックだろうな。。。
どうやって、励ませば、お礼を言えばいいものか。。。

と、私は秘かにムネリンを心配していたものの、
私がアプローチをする手段は何もなく、時が経っていきました。

そんなとき、ムネリンとロッテの西岡(イケメンコンビ)が
トークショーをする! って (西岡も、星野JAPANのメンバーです)

そして、
がんの子どもを守る会に寄付をしてくれる
闘病中の子どもたちを招待してくれる
って

夕方までに福岡に着くように。。。
午後の仕事を代わってもらって、
ビッグママのご配慮の元(運転手はリーダーN!)、
子どもたちと、星になったむねりんファンの子のお母さんとともに
トークショーに行きましたよぉ。

握手ができれば、
私の背番号52のユニフォームにサインしてもらえれば。。。。
最高
と、思っていましたが、そんなのぜ~んぜん無理!!

でも、これだけは、絶対にぃ
と思っていた、感謝の手紙だけは手渡すことが出来ました。

そして、ムネリンとあふれるような笑顔の彼女のツーショット写真を見せた瞬間、
ムネリンは反応…
"あっ。。。”って。

あの顔を見ただけで、私は満足。
あっ、やっぱり覚えていて、気にしていてくれた~、って。
お母さんも泣いてました。
(和田のファンと言っていたお母さんも、
いまやムネリンファンにすっかりかわってましたね)

招待された子どもたち、親たちが書いた感謝の色紙を、最後までしっかり持ってくれ、
私たちにしっかりと手を振ってくれたムネリンの優しさに。。。。

も~。。。。。。うふふ(言葉はありませんでした。。。



今回は、オリンピック出場前から、足の具合が悪そうで、
とても心配していましたが、
いつも一生懸命なムネリンがテレビに映る度に、
元気をもらうのと同時に、また心配にもなっていました。


とても、素敵な星野JAPANの選手たち

どうか、プレッシャーに押しつぶされず、
持ってる力を発揮して、笑顔で頑張ってもらいたい

って、ファンは心から願っています~。


以上、Iせんせいの心からのメッセージでした。

(追記)
*残念な結果に終わってしまったけれど、
 これからも、私たちは、ムネリンを、ソフトバンク・ホークスを、野球を
 力いっぱい応援しています。
 子どもたちに、夢を! これからも、どうぞよろしく
 本当にお疲れ様でした。


日本クリニクラウン協会のご紹介
2008年08月19日 (火) | 編集 |
しろ~です。

ここ数日、更新できなくてごめんなさいませ。
お盆休みって、やることがたくさんありまして、
パソコンの前に座る時間を作れませんでした

と、そこへ、“日本クリニクラウン協会”の方から当ブログ宛に
一通のメールを頂戴しました。

本日は“日本クリニクラウン協会”の活動とサイトを
みなさまにご紹介させていただこうと思います。



<以下、日本クリニクラウン協会の方からのメールの引用含む>

当協会では、これまで、“クリニクラウン(臨床道化師)”を
全国各地の小児病棟に派遣し、入院しているこどもたちが
こども本来のチカラを取り戻しながら、笑顔になれる環境を
創るために活動していまいりました。

現在、関西・関東を中心に全国10病院に定期訪問をしています。

これまでの活動を通じて、退院後もいろいろな制限を受けながら
自宅療養して過ごしているこどもやご家族の声に触れてきました。

そこで、自宅療養しているこどものもとに、こどもの成長に大切な
創造力を刺激する「遊び」や、自主性・能動性を育む「発見」の
機会を創造することを目的として、

「インターネットクリニクラウン for children」

の活動を開始いたしました。

インターネットを介したリアルタイムの映像と音声(ライブチャット)を通じて
こどもと、クリニクラウンが同じ部屋にいるみたいに遊ぶことができます。
(WEBカメラは無料貸出。登録などの費用もかかりません)

プロモーション映像では、クリニクラウンとこどもが
実際に遊んでいる様子や活動の内容を紹介しています。

ぜひ一度ご覧になってみてください。

インターネットクリニクラウン for childrenのサンプル映像はコチラ↓
インターネットクリニクラウン for children
※WindowsMedia Player版

※クリックしても、正しく映像が再生ができない場合は、
日本クリニクラウン協会のホームページ↓でご覧ください。

日本クリニクラウン協会のホームページ

インターネットクリニクラウンfor childrenのメリットとして、
免疫の低下しているこどもが感染の心配がなく、
また移動できなくても、距離や時間を気にせずに
こども本人の希望でクリニクラウンと触れ合うこと、
つながることができることできます。




私(しろ~)も、サンプル(プロモーション)映像を観てみました。
とても、画期的なことだと関心しましたし、大笑いしました。

しろ~の個人的意見ですが、

私も闘病中にTVでたまたま観たパントマイムに魅了されて、
病室でパントマイムの練習をしては、看護士さんやドクターたちに
見せていましたね。(思い出すとはずかしぃ…)

それがきっかけで、高校時代~20代前半まで演劇もやっていました。

パントマイムは言葉が必要ない為、老若男女、国内外を問わず、
相手に意思を伝えることができる表現方法のひとつです。

私は映像の中のクラウンたちのさまざまなパフォーマンスを観ていて、
こどもの心に楽しみや豊かな想像力を、顔には笑みを生み出すことの
できる、すばらしい活動だと感じました。

私は以前、ノーマン・カズンズさんという1人のジャーナリストの方が
自身の難病を“笑い”で克服したという話を聞いた事があります。

笑うと、人間は免疫力が向上し、痛みも和らぐのだそうです。

みんながみんな、そういうワケにはいかないでしょが、
病気と向き合うこどもの顔には絶えず笑顔が、そして、
大きな笑い声が出せる環境であってほしいと、しろ~は思います。

日本クリニクラウン協会の取り組みがひとりでも多くのこどもたちの
心に希望や、未来への夢を、そして笑顔を与えてくれることを
私は心から応援します。

ぜひ、日本クリニクラウン協会のホームページを訪問してみてくださいね。



医療ルネサンスの記事
2008年08月15日 (金) | 編集 |
しろ~です。

医療ルネサーンス!!(髭男爵さんゴメンナサイ)

6月の読売新聞の医療ルネサンスのコーナーで、
当ブログのURLが紹介されたこと、そして、私とボスが
ツーショットで掲載されたことを憶えていますか?

実は、あの記事を見逃した方にお知らせです。

読売新聞さんのWEB版「YOMIURI ONLINE」にて、
過去のバックナンバーが閲覧できます。

当ブログが紹介された6月11日の記事はコチラ↓

小児がんを乗り越えて 病後の孤独 仲間が救う

そして、ボスと私が掲載された6月12日の記事はコチラ↓

小児がんを乗り越えて 治療記録 患者が持ち歩く

この、医療ルネサンスのコーナーで紹介された“小児がんを乗り越えて”
の記事は4日間の連載でした。

全部ご覧になりたい方はコチラ↓

YOMIURI ONLINE 医療ルネサンス
※6月10日~13日(小児がんを乗り越えて)をご覧くださいませ。

この新聞掲載で知り合うことのできた経験者の方々や、関係者の
方々が、ここのブログにも訪問してくださっています。

つながりが広がり、深くなれたことに感謝しています。

そして、この記事を通して、晩期合併症についても深く
考えるようになりました。

治療が終わり、経過観察も終わり、成人になると公費負担が打ち切られるけど、
現実の生活は、体力が無く、体調も慢性的に悪くて、就労が困難であったり、
学習障害が理由で就職ができなかったり、人前に出れないほど外見に
コンプレックスを感じていたり…。

目に見えない部分での晩期合併症の影響もたくさんあります。

こうした経験者たちに対して、生活が困難であっても、一定の所得さえあれば
国は所得税も、住民税も、健康保険も、年金だって、健康な方たちと平等にしてきます。

しかも、入院や治療のために仕事を辞めて、所得が無い、お金が出て行くばかり。
という状況でも、税や、年金などは「昨年のあなたの所得に基づいて…」って
理不尽な説明をしてくれます。

また、生命保険に加入できない経験者もたくさんいます。

そうした経験者が、病気をして入院や治療をすると、高額医療費の
金額の上限が制度としてあっても、負担はかなりのものになります。

日本は、それでもまだ他の国に比べれば、恵まれているほうだとも聞きますが、
自立して、晩期合併症を抱えて、一人で生きていくには現実は厳しい。

いまは家族との生活で守られているが、家族が年老いて、年金生活になったら?
両親が亡くなったら自分はどうなるのか?

私は、生きていくことに不安を感じているこうした経験者の方々の声を聞き、
胸の中が熱く、そして痛くなります。

晩期合併症については、小児がん経験者が日本のどこへ行っても、
長期フォローアップができる仕組みをボスをはじめ、小児がんと闘う
ドクターたちが、いま取り組んでいる最中です。

経験者の声を、思いを、より多く集めて、より多く発信できれば、
小児がん、そして、経験者に対するこの国のしくみも変わっていくでしょう。

このブログも、そうした取り組みに少しでも役に立てれば…。

そう、願っています。

コメントや、メールを通して、匿名でもいいですから、経験者の
みなさまの本音を、ぜひお聞かせください。

国が動かない!…のではなく、誰かが動かさないと動けないのがこの国。

私たちも、できることからやりましょう。


この時期にピッタリなネタ。
2008年08月14日 (木) | 編集 |
今日は、盆休み真っ只中のOKAっPIKIくんからの投稿を掲載します!




私からもこの時期にピッタリなネタを一つ・・。

毎年お彼岸、お盆、お正月になるとOKAっPIKI は
車で約1時間かけてお墓掃除に行きます。

「今年もお盆前の掃除」と言いながらお花を買って、
先週の土曜日にお墓のあるお寺に行ってきました。

いつもの如く、汗だくになりながら1時間弱かけてお墓掃除を終え、
「さぁ、ロウソクと線香を焚こう
と思い、ロウソク、線香立てを取り出そうとお墓を開けると・・・

6つある骨壺の中の1個が倒れていて、中に入っていた骨が外に!!
?*●¥☆#◇$%???

「・・・WHY?!ナゼっ?!何故っ?!」と叫んでしまいました!!!
(御近所の方、ご免なさい)

お墓の周りもとくに変わった形跡がなく、
骨壺を納めている場所にも異状なし!

通気口も異状なし!!

「・・・おいおい、どういうこっちゃ手や扉が当たって
倒れる事は絶対ないし、モグラなどが入って荒らした形跡もなし。
水が入ってきた訳でもないだろうし・・。そもそも何で一つだけ

周りにばれないように平静を保っていましたが、心の中は大大大混乱!!

冷静さを取り戻すのに数分かかりました・・。

「こぼれた骨を元に戻さねば!」

何とか平静さを取り戻したOKAっPIKIは

「すいません。失礼します

と言いながら倒れている骨壺を元に戻し、こぼれている骨を元に戻しました。
それからロウソクと線香を焚いて帰りました。

その夜、実家に帰って、両親に報告。

すると父親から衝撃的な一言・・。


父: 「それって、一番右端の茶色い骨壺じゃなかったか?」

O:  「そうやけど何で?」

父: 「5~6年前もその骨壺倒れてたから。
   今度墓に行く時に骨壺を確かめるけん、お前も来い。」


O: 「・・・??・・・・何で???」

父: 「ババ(母親)は怖がりやけん、骨壺は見きらんけん、俺とお前で見るったい。
    状況によっては住職と相談せんといかんけん」


・・・嫌じゃ~
俺は蚊の次にが苦手なんじゃ~!!


と叫んでも後の祭り・・。

結局明日(15日)、両親と一緒にまたお寺に行く羽目に・・。
(何でこんな時に仕事が休みなんじゃい!)

無事に事が進みますように、今からお祈りするOKAっOIKIなのでした・・。




記:OKAっPIKIくん
変…もとい、編:しろ~


                                        

怖いお話…
2008年08月12日 (火) | 編集 |
闘病記の記事も長らく書いておりませんですが、
今回はしろ~の闘病記の
番外編です。

暑い夏の夜、背筋がヒヤっとするお話を

どーぞ、お楽しみください。


食事中の方、怖い話が苦手な方は、御遠慮ください…




あれは、私が大学病院の小児病棟の6人
入る大部屋に入院してたときのこと。

今は、昼間からでもカーテンを閉めてお隣との距離を
置いちゃう時代ですが、昔は同じ部屋のこどもを、
お互いの親が気にかけてくれて、何かあればすぐに
お母さんたちは対応をしてくれていたんです。

夜、消灯時間になっても、カーテンを閉めることは
よほどの事が無い限りはありませんでした。

付き添いは、母親が大部分を占めていましたが、
たまにお父さんが付き添いの患者さんもいました。

私の隣のベッドへ、一人の少年がお父さんの付き添いで
入院してきました。

入院して、すぐに彼と私はうち解け、仲良くなって、
日中はよく一緒に遊んでいました。

ある日の夜。

消灯時間が過ぎ、ほとんどの親も、こどもも寝静まった時間。

枕元に点灯してるオレンジ色の薄明かりが病室の中を
見るための唯一の明かりでした。


私は、昼寝しすぎたせいでぜんぜん眠れず、病室の中を
見渡しては、眠れない夜をつまらなさそうにやり過ごしていました。

ふと、隣の彼のベッドに目をやると、彼のお父さんが口を大きく開けて
仰向けで寝ていました。

そのお父さんの寝顔を見ていて、私はとんでもないモノを見ました…。



そのお父さんの顔に、なんとゴ○ブリが!!


それは、薄明かりの中でも、存在感ありありの黒光りを放って、
お父さんの頬をカサカサと動いています。


そして次の瞬間!!


お父さんの口へ突入!!


私は、声にならない声で

「あぁーっ!!入っちゃった!!!!

でも、その状況を、私は誰かに言えるような状況でもなく、
ただただ、その様子を固唾を飲んで見守るしかありませんでした。

「お願いだから、おじちゃん、口を閉じないで!

そう、祈るばかり。


そして、数秒か、数十秒か、それとも、数分経ったのか…。
私には、とても長い時間に感じました。

そのお父さんは、驚いて飛び起きる事もなく、ゴキ○リさんは無事に
(っていうか、お父さんは無事に…)お父さんの口から這い出して
どこかへと消えていきました。


私は、その夏の夜。

とても恐ろしい出来事の目撃者になってしまったのでした…。







今でこそ病院は、害虫駆除なんかもしっかりされてるでしょうが、
昔は夜な夜なそこら中にゴキ○リさんがいて、千羽鶴なんかを
飾っていると棲家にされてしまい、ときどきは千羽鶴を窓の外に出して、
ゴキブリさんたちを振り落としていたぐらいです。

あの少年、そしてお父さんは、元気にしてるかな…。


お話は以上。


※最近、こうした話はノンフィクションですか?
それともフィクションですか?
との質問をよくされます。
ええ、もちろん!!
ノンフィクションですとも!!


少しは、涼しくなりましたか?


ゴミをすてるなぁー!!
2008年08月10日 (日) | 編集 |
どもども、しろ~です

今日は、暑い夏のこの時期に思い出したお話のおはなし。


あれは、いまから数年前。


仕事の昼休み。
とあるお店の大駐車場で同僚とうだる暑い夏の昼下がり。
クーラーをガンガンにかけて、車で昼食をとっていたときのこと。

若い男女の乗った、いじってちょっとかっこ良くきめてる
一台の車が私たちの車の前にサッと停まりました。

両方のドアが開き、助手席から女性が、運転席から男性が、
それぞれ降りてきました。

その際、車内の助手席の足元に置いていたのであろう、
たくさんのゴミが入っているマクド○ルドの大きなビニール袋と、
なぜかハワイの首飾りのレイ(この頃流行ったのよね)みたいな車内の飾り物が、
彼女のハイヒールに引っかかり車外へバサっ!て落ちました。

「ちゃんと拾うのだろう…。」

って思ったら、その女性

隣の車の下にワザと蹴っ飛ばしました

そのまま何食わぬ顔で、男と二人で楽しそうにキャッキャ笑いながら、
お店の中に入って行っちゃいました。

蹴飛ばされたゴミたちは、袋から飛び出てバラバラに…

私と隣にいた同僚はその光景を見て、

「なんてひどい女なんだっていうか、男も男だあんな女とはとても付き合えないなぁ…」
ってお互いに目を見合わせて驚きながら、言葉を交わし、しばらくゴミを見つめました。

「コレばかりは、青空より心の広い俺でも、さすがに目をつぶれないなぁ…」
私の心には、ふつふつと怒りがこみ上げてきました。


私はそこで、あることをひらめき、実行に移しました。

車を降りようとする私に同僚は「んどうしたの」ってちょっと
心配してましたが、私は「まぁ、見ててごらん」って言い残し、
ゴミを拾いに行きました。

私は、そのポイ捨てされ、バラバラになったゴミやハワイのレイたちをやさしく拾い集め、
ゴミ袋の中に戻して口をしばり、さっきの二人の乗ってきた車の後ろへと回りこみました。

車のリヤワイパーの付け根はその車の運転席からちょうど見えません。

私はそのワイパーの付け根に、さっき拾ったゴミとレイを こそーっ
取り付けてあげました。

速やかに車に戻り、笑って迎えてくれた同僚と、笑いをこらえながら、
私たちは二人の帰りを待ちました。
ニヤニヤしながら。

やがて、十数分して彼らが戻ってくると、さっきゴミを蹴っ飛ばした車の方を
チラ見はしたものの、ぜんぜん気にしない様子で二人でケラケラと
笑いながら車へと乗り込みました。

キュルルーン!ってエンジンがかかり、車は私たちの前から急発進。

駐車場から出て、私たちの目の前にある道路をその車は
カッコつけながら、急加速で走り去って行きました。

リヤワイパーに取り付けられたゴミとレイを
激しくパタパタとなびかせて…。



私には、そのゴミたちが
「しろ~くん、ありがとー!」

って言いながら、手を振ってくれているようにも見えました…。

彼らは途中で、そのゴミに気づくのか…
それとも、まったく気づかずに家まで恥をさらしながら帰るのか…
その後のことは知ったこっちゃないですが…。

ふだん、ほとんど怒ることのない私が怒ったら…こわいぞ。


何はともあれ!!

天にツバを吐くと、自分の顔に戻ってくるように、
ゴミを捨てれば、何らかの形で自分に帰ってきます。

因果応報ってやつです。

みなさん、地球を大切にしましょう! 

いたずら好き&自然を愛する しろ~ のお話でした。

私の好きなもの その1 KIRINへの想い
2008年08月08日 (金) | 編集 |
今日は、ビ●●大好きの、Iせんせいのお話です

先日、仕事帰りに、通り道のいつものコンビニに寄ると、
あれ~っ!? 大好きな一番搾りがな~い
“困るよ、それ~っ”と、心の中で叫びながら、
お店の人に尋ねると、「奥にありますので出してきますね」って。
あ~、よかったと、胸をなでおろしたのでした。

なぜ、そんなに一番搾りにこだわるのって
それには、しっかりワケがあるのです。

いえ、KIRINのビ●●だったら、ラガーでもいいのですが、
私の好みは一番搾りです。
スーパードライが美味しいのにぃ~。って
う~ん、自分で買うことは、まずありませんね~

そのワケを…、お話しましょうね。

今は、ありがたみも少なくなってるかもしれませんが、
G-CSFというお薬をご存知でしょうか

しろ~くんとか、てけてけmtさんのころにはなかったもので、
簡単に言うと、好中球を増やすお薬(注射)です。

おそらく、しろ~くんが抗がん剤治療を受ける前には、

「好中球が下がって、重症の感染症を起こしたときに備えて、
好中球を採取するためのドナー候補者を集めてください。」


と、言われ、ご家族は大変な思いをして、いろんな人にお願いされたのでは?

と想像するのですが(かつてはみんなそうでした)、
そんな苦労を解消してくれたのが、G-CSFでした。

そして、最初に日本で開発されたのが、KIRINから
「グラン」というお薬です。(1991年11月に発売)

1990年秋ごろ、私が小児血液腫瘍の病棟係として、
大学病院に戻ってまもなくの頃、重症の
再生不良性貧血(骨髄で血球が造れない病気)の
中学生の女の子が入院してきました。

とても素直な可愛い子で“みっちゃん”といいました。

いろいろ検査を進めて、「肝炎後の最重症型再生不良性貧血」という
診断に至ったときの、当時の上司の言葉を今もしっかり覚えています。
「死亡率は90%です。重症の感染症が命取りになります。」

私はカルテに説明内容を記載しながら、手はガクガク震えるし、
涙がボトボト落ちてきます。
本人は同席していませんが、当然ご両親の目は真っ赤です。

当時、九州にできたばかりの骨髄バンクに登録したけれど、
HLA(白血球の型のこと)が一致したドナーはいません。

目の前が真っ暗になっていた頃、
KIRINのG-CSFの治験が行われました。

その治験に参加していた、血液内科の同級生(医師)が
「可愛い子どものためなら、どんどん持ってけ!」と、
度々G-CSFを分けてくれました。(今は出来ないことですが…)

再生不良性貧血に投与する量は、
白血病などの治療後よりも数倍多いのですが、
その都度、気前よく分けてくれました(感謝~)。

「よし、これで、みっちゃんが助かる!」

もらったG-CSFを、大切に大切に、1滴も無駄にすることなく
願いをこめて、投与していたのを思い出します。

成人式を終えたあと、みっちゃんは残念ながらお星さまになったのですが、
あの頃の感謝の気持ちは色あせることはありません。

それから、
 KIRIN以外のビ●●は、買わない。 

と、決めました。

当時、そんな風に決意していた先輩たちがたくさんいましたしね。
だから、今も「一番搾り」なのです。
(アサヒやサッポロ、サントリーなどのメーカーの方、ごめんなさい。)

そうそう、みっちゃんとHLAが一致すれば!と思って、
あの時、骨髄バンクに登録したのだけれど、
残念ながら、今まで一度もお呼びがかかりません

よほど、珍しいHLA型なのか、逆にありふれたHLA型なのか、
当時、今より10kg近くスマートだったので、
申告の体重が少なすぎてハネられているのか…。
※いま、笑ったそこのあなたっ!…許します

今は、血圧とか他の条件でもひっかかるのだろうな~


今日は、いつもよりちょっとほろニガい、一番搾りをいただいた I せんせいでした。

(他のビールメーカーのみなさま、そういう事情なので、どうぞお許しくださいませ。)


記 : I せんせい(ボス) …ほぼ毎日飲んでます
編 : しろ~ …節約のため、第三ビールにしてます


今日は、コチラのブログをご紹介っ!
2008年08月07日 (木) | 編集 |
暑いアツイあつい夏まっさかり
北九州はずーっと、ほとんど、雨が降ってません!!

さて、今日は大変ウレしいことに、なぜか訪問者が増えていて、
首を360°ひねってみたら…無理でした…。
これ、できたらエクソシストやね。(ネタが古いね

訪問者増加。
たぶん、その理由のひとつは…。

当ブログをリンクしてくださってるブログがあるおかげなのですが、
今日もここで相互リンクしてくださってるブログを恒例ながら、

こそーっと

御紹介しますね

今日、御紹介するサイト(ブログ)はコチラ ↓(タイトルをクリックするとジャンプします)
みぃの森・りとる~ホンネのワタシ~

眼科医の女医さん、女性、母親としてのホンネを日々綴っている
楽しいブログです。

ちなみにコチラのブログは7月4日にできたばかりで、
コメント第1号は しろ~ でした

それから、ブログでのやり取りも続けていて仲良くさせて
いただいています。

みなさまも良かったら、訪問してみてくださいね

女医せいかつ。のぶぇぶぇ先生をはじめ、
当ブログの I せんせい(ボス)、みぃさん
と、女医さんとのつながりがなぜか深いSmileDaysのブログ。

女性の活躍する時代だからでしょう

SmileDaysは、頑張る女医さんを応援します!
もちろん、男性の医師もですけど


あくまで、こそーっとのご紹介でした



8.6 ヒロシマ 8.9 ナガサキ
2008年08月06日 (水) | 編集 |
6月29日の記事で、長崎へいった時に原爆資料館へ訪問しました。
と書いた記事を、みなさんは覚えていますでしょうか?

今日、8時15分。 ヒロシマへ原爆が投下されてから63年を迎えます。

原爆投下については、みなさまにもそれぞれ意見があると思います。
わたしは、被爆した方々の原爆症や、白血病の症状についての資料や、
写真に目を通すと、自分と重なる部分をとても感じます。

善悪の判断基準。

とても判断が難しいことだけど、人を幸福にすることが善。
不幸にすることが悪。と考えるならば、戦争は悪しき事でしょう。

原爆が悪いという前に、いのちを軽視する戦争そのものが最も悪く、
それを引き起こした人も、戦争を正当化させようと扇動した人も、
大きな悪に呑まれたのだろうな…、と。

広島の原爆資料館へはまだ行ったことがありませんが、
長崎の原爆資料館に行ってきました。

IMG_6810_512.jpg

記念館の中に入り、展示ブースの
中に入った瞬間から、私は言葉が出てこなくなりました。

焼け焦げ、爆風でねじれた大きな鉄の柱、崩れた天主堂の残骸。
ねじれたビン、永遠に針の止まった時計、後世に残された惨状の写真。
焦げた亡骸の横にたたずむ少女。
死んだ弟を背負ったまま直立している少年。

生と死がいつだって表裏一体であること。
生きてることが当たり前ではないということ。
人の不幸の上には、正義も、善もないということ。

それらを、ひとつひとつの展示物、いや、
悲しい歴史の残骸たちが私の心にたくさんの
事を問いかけてくれました。

展示ブースから出る間際。

私は、深く頭を下げて手を合わせました。


私はその後、爆心地の近くに今も残る、片足だけが残った
鳥居のところに行きました。

IMG_6808_512.jpg

この鳥居は、63年の月日、人々の苦しみも、悲しみも、儚さも、
弱さも、そして強さもずっと見てきたんだな…。
と、静かにたたずむ鳥居を眺めながら考えたのでした。

IMG_6806_512.jpg天主堂

IMG_6812_512.jpg千羽鶴

今でも、紛争やテロで、そして理不尽で身勝手な事件の被害で
多くの方が毎日亡くなっています。

一日でも長く、
平和な時間が続くように。
争いが治まるように。
そして互いを思い合えるように。

そう、考えさせてもらった貴重な体験となりました。

3日後、長崎も63年目の節目を迎えます。


長崎に投下された原爆の第一目標は、小倉でした。
でも、煙幕と厚い雲に阻まれて、第2目標の長崎に
投下されたのです。

前日の1945年8月8日、北九州の八幡はたくさんの
B-29爆撃機が襲来して、大量の焼夷弾を落としていき、
街は大勢の犠牲者を出して、焼け野原になっていました。

その焼夷弾で焼かれた街の煙が、そして雲が、
皮肉にも長崎へ原爆を投下する理由になってしまったのです。

8月8日北九州(八幡)の大空襲。

私には、身近にそうした実体験を話してくれる方がいて、
その怒りや、悲しみを私も胸に刻みつけています。

8月8日は、皿倉山には大空襲の犠牲者を弔うために、
山に大きな八の字の明かりが灯されます。

年月が経っても消えない戦争の爪痕、心の痛み、悲しみ。
戦争が終結しても、まだ心の中で終わってない人たちも
いることを感じます。

みなさまも、今日はいのちについて考えてみませんか?


※途中で追記させていただきました。
  
記:しろ~
暑い夏のすごし方
2008年08月03日 (日) | 編集 |
どもども、しろ~です。

私のお話ですが、8月3日は消防設備士の国家試験があります。

この数ヶ月、メチャクチャ忙しかったので、ぜんぜん勉強できてません

あきらめているわけではありませんが、自信はまったくアリマセン

いまから徹夜で詰め込む努力は、しても無駄なのでやりません

と、いうわけでブログの更新してます

8月末にもう一度試験があるので、そっちに集中します



話変わりますけど、



7月は、熱中症で救急車で搬送された人数が例年よりとても

多かったと、報道番組で知りました。

私は、昨年の8月10日に熱中症が原因で、勤務先から

帰る道で、意識がもうろうとして車で街灯のポールに突っ込む

単独事故に遭いました。
※まだ、後遺症が少し残ってます。

熱中症には、くれぐれも注意を。


この時期は、暑さで食欲もぐっと落ちますよね。

私は夏を乗り切るために、食べ物の摂り方も工夫してます。

涼しい朝や、夜は比較的食べやすいので、しっかり食べますが、

暑い日中は体を冷やしたり、気分的に暑さを吹き飛ばすために、

あることをします。


それは…!


セブン○レブンに売っている、じゃこめしや、サバほぐし弁当なんかを、

冷たいペットボトルのお茶で、お茶漬けにして食べるのです。

お弁当もお茶も、その日の気分でチョイスします。

なかなか美味しいですよ

お家でも、ご飯を流水で冷まして、氷を砕いて入れて、

お茶漬けのりと、好きな具(梅やシャケ)とわさびを入れて、

冷たいお茶をかけて食べます。

お漬物やキムチがあるともっといいですね。

栄養面では、不足な点が多いですが、

塩分、水分と、炭水化物(ブドウ糖ですね)を上手に

摂れるので、食欲が無いときにはお勧めです。

※食べれるときは、栄養のあるものをしっかり食べましょう!


今日、宮崎にいるボス。

宮崎名物の“ひやめし”を食べたことあるかな?

しろ~ は大好きです

てけt とか食べたことあるかな



そして、もうひとつ。

暑いときは映画を借りて夜に観るのもいいかも。

忙しくて、なかなかそういう機会が持てなかったけど、

仕事を終えて、日が暮れて、少しゆっくりと夏の夜

過ごすのは素敵かも。


私の好きな映画は

フェノミナン

グリーンマイル

トュルーマンショー

シザーハンズ


とかかな。

ちょっと悲しくて、切ない話が好きかも。


夏のすごし方、みなさんはどんな工夫をしてますか?

あと、美味しい夏の食べ物とかも、ぜひ、教えてください


※ひやめしでは無くて、冷や汁の間違いでした。
 訂正します。宮崎県のみなさま、ごめんなさい
いまさらながら…
2008年08月02日 (土) | 編集 |
どもども、しろ~です。

いまさらながらですが、7月12日に

久留米大学病院の筑水会館にて行われた、

 「小児脳腫瘍の放射線療法」についての講演と、  
  
その後、
 
ドクターを囲んで病気や治療のこと、不安や悩み事など、

質疑応答と、意見交換の交流会が行われ件について、

このブログで少しですが、ご紹介したいと思います。




今回の講演の講師は

国立成育医療センター放射線診療部長

正木 英一先生



1時間ほどの講演は、パワーポイントを使用しての

放射線治療の治療成果、最新技術、治療後の状況、

問題点、将来の治療のあり方等についてのお話がありました。

IMG_6885_640.jpg会場の様子


血液がんの私には初耳のことばかり。

放射線治療の経験がまったく無い私には、とても勉強に

なりました。

小児がんの治療は、痛みを伴う治療がどうしてもあるため、

こどもは、慣れていない初めて行う治療や、初めて見るものに

恐怖を感じます。

そこで、正木先生のグループでは、放射線治療にこどもが恐怖を

感じないように、段階的に痛くない治療だと理解してもらうように

治療機器に寝たままアニメなどが見れるようにしている工夫などの

説明もありました。

そして、高LET放射線治療という聞きなれない治療のこともききました。

世界では21施設、そのうち日本では6施設もあるということ。

IMG_6909_640.jpg日本って、すごいんだね。

写真を見ていただければわかると思いますが、

南米、オセアニア、アフリカ、日本を除くアジア諸国など

こうした治療施設のまったく無い地域もある中で、

日本は6施設もあるということは、とても恵まれているんだなと

感じました。

つい、数年前ガンマナイフ(脳腫瘍の局部に行う放射線照射)

が最新技術だとTVで見たことがあって、とても関心をもったけど、

日進月歩で、もっと新しい治療がはじまっていることに、

医療技術のすばらしさを感じました。

少し話が変わりますが、別の病気の治療では、

治療をできる施設が世界でも日本に2箇所だけしかない。

というすごい話も聞いてきたばかりです。

ただ、そうした最新技術の設備投資、施設の建設費、そして維持費に

巨額の費用が必要であるという問題点、どこの誰がその費用を負担

してくれるのかということ、放射線治療も照射した人体へ何らかの

影響があり、そのリスクをどこまでギリギリの影響で済ませるか

という長年の問題への取り組みもお話してくれました。

今から24年前、私(しろ~)が治療していた時代は、

白血病も死亡率が70~80%という、医療者も、本人も、

家族にとっても過酷な時代でした。


いまは、70%以上治る!っていえる時代になりましたけど。


小児がんの経験者の方々や、家族の方々との対話の中で、

治療してるときは、どんなことをしてでも命さえ助かれば…

そのように思うけど、治療が終わり体や心に障害が残り、

生きていくことに本人も家族もたくさん問題を抱えている。


小児がんと向き合う医師たちが少しでもリスクを減らしてあげたい。

との思いで、晩期合併症、長期フォローアップ、治療方法の

見直しという努力と工夫に取り組んでいる事もここで言っておきたい。


講演が終わり、私たちSmileDaysは座席のレイアウトを変えたりする

準備を行い、ドクター、小児がん経験者、治療をしているこどもさんの

お母さん方が、集っての質疑応答や意見交換が行われました。


その内容は、ブログで取り上げるものではないですので、

ここには書きませんが、医者、患者、親、家族といった方々が、

こうした意見交換の場に参加したり、ドクターたちの取り組みを

知っていただければ、ドクターとの距離や溝も、医療に対する不信感も、

簡単で単純な問題ではないですが、少しでも減らすことができると

私は思いました。

そして、このブログの存在も、そうした患者と家族と医療者や、小児がん

に取り組むみなさまの互いの絆を深める場になってほしいと願っています。



SmileDays しろ~ からの報告でした。 


※写真はクリックすると拡大できます。元に戻すときは拡大画像をクリック!
    
8月になりましたので…
2008年08月01日 (金) | 編集 |
こんばんわ~

管理人の しろ~ です

暑いアツイあつい夏は、まだまだこれからです。

少しでも涼しい気分を味わいたいので、ブログをリニューアルしました! 

こんなに頻繁にリニューアルしてるブログもそうそう無かろう…。

それだけですぅ~







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