小児がんと向きあう方々とともに…
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病と死から何を学ぶのか
2010年09月10日 (金) | 編集 |
情熱と行動の九州男児 しろ~です。


※↑みなさん、これが正式な私の肩書きですよ~。覚えてくださいね。


今日は、ちょっとマジメなお話。







数日前、一年ほど前にお友達になったAさんから

話を聞いてくれますか?って連絡がありました。


Aさんは、看護師さんです。

Aさんは、友人のBさんと向きあっています。

Bさんは、余命がわずかな末期がんの方です。


Aさんは、仕事としてではなく、プライベートの時間で

Bさんのことを気にかけて、毎日連絡をとっています。



Aさんも最近、病気をして危ない目に遭い、乗り越えたばかりで、

Bさんがどんな状況で、どんな心情なのかが想像出来るから、

心配なので、自分にできることをできる限りしているけど、

かえってそのことが余計なことをしてないかと不安になって、

どうしたものかという悩みを私に話してくれました。


Bさんは肉親がいなくて、Aさん意外に頼れる人もいない。


Bさんは、Aさんとのメールのやりとりが心を

癒してくれているとAさんに言っています。


Bさんは自分の病状を知ってから、絶え間なく襲ってくる

体中の激痛と闘いながら、寂しさや、悲しさや、

なんで自分が!っていう怒りや、

死にたくないという自分の正直な気持ちと

まっすぐ向きあいながら、自分を見つめています。


そんなBさんに、Aさんは意味があって、

Bさんとの出会い、今の関係があるのだと感じて、

懸命に向きあっているのです。


私は、Bさんとのやりとりはありませんが、

Bさんと向き合っているAさんと向きあっています。

なんだか、変な感じですが不思議なご縁です。



みなさんは、自分の余命が宣告されたとしたら、

どのように残された時間を過ごしますか?

生きていることが当たり前になってると、

そんなことを考えもしないですよね。



明日、自分が死んだらということを私は毎日

心に浮かべています。

ネガティブなのではなくて、価値的に生きるために。


人は、自分がいつ、どこで、どんな死に方をするかを

知るよしもありません。

突然の病死、生きることを諦めた自殺、

事件に巻き込まれたり、不慮の事故で亡くなる方…

命の数だけ、生きざまと死にざまがあります。


ずいぶんと以前にもこのブログのどこかで書きましたが、

病気で余命がわかってるというのは、自分の死をみつめて、

残された時間を大切に生きるための貴重な機会を与えられた

のだと私は思うのです。


病気を患い、死と向きあう本人も、その人を見守り、支える

家族や、友人、医療従事者だって、見つめている中心は、

病であり、死であります。


亡くなった方の病や死から、関わり続けて残された人は、

自分自身の生き方をみつめて、自分の命と向きあう姿勢が

間違っていないか確認し、誤っていれば修正して、

正しいのならば、いままでよりももっと強く命を輝かして、

生きるために歩み進まないといけないのだと私は思います。


今年も、今日までの間に親しかった方、友人、先輩方と、

たくさんの方とお別れをしました。

そのみなさんは、会いたくてももう会えません。

声を聞きたくても、聞けません。

でも、私の心のなかに思い出と共に活き活きと甦ります。

そして、そのたびに心に浮かんだ顔に、生前に出会えたことへの感謝と、

今日もオレ、ガンバって生きてますよ!って、心のなかでそっと

報告をしています。


病に苦しんでいるBさんとの縁。

私もAさんも、この縁が自分の成長に、生きるために、

とても大きな糧になると感じ、目をそらさないで

向きあおうと決意をしています。


Aさんと知り合えたこと、そしてそのつながりでBさんのことを

知ることができた縁に感謝です。


最後に…

今日のこの記事が、みなさんの心に残っている先に亡くなった方を

思い出すきっかけとなって、前に進むための糧になれば幸いです。








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We Are The World 25 For Haitiを聞いた。
2010年02月16日 (火) | 編集 |
しろ~です。


日本時間2010年1月13日6時53分

大地震がハイチを襲い、現地政府は推定20万人以上が
犠牲になったと公表している。

ハイチの人々は家を、家族を、ライフラインを失い、
死別の悲しみと生き抜く苦悩の両方を胸に抱えて、
いまこの瞬間も心を落ち着かせることができないのでは
ないだろうか‥。


このハイチの大地震にむけて、We Are The World
USA for AFRICAの名曲は25年の歳月を経て、
志あるアーティストたちの手によってリメイクされて、

「We Are The World 25 for Haiti」

として、全世界に配信されることになりました。

バンクーバー冬季オリンピックの開会式の中継で世界初放映となり、
このミュージックビデオと楽曲はiTunes Storeから配信されていて
この楽曲とビデオの収益金はすべてハイチ救援のために
We are the World Foundationに寄付されるそうです。


この「We Are the World 25 for Haiti」には、
ジェニファー・ハドソン、ジェイミー・フォックス、
アース・ウインド&ファイアー、リル・ウェイン、
カニエ・ウェスト、ブラック・アイド・ピーズ、
セリーヌ・ディオンなど‥、
多くのTOPアーティストたちが参加している。

iTunes Store、We are the World 基金サイト、
YouTubeにて配信されているそうです。

ちなみに、PCでブログをご覧の方はYouTubeで、
全編のミュージックビデオがご覧になれます。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

We Are The World 25 For Haiti - Official Video※PC閲覧用


携帯からYouTubeの動画を観たい方は↓

We Are The World 25 For Haiti - Official Video

のキーワードでYouTubeを検索してください。
※こちらのブログからはリンクできません。







その昔、聴力障害を患い音楽家として絶望の淵に立たされた
ベートーベンは、シラーの詩に触れて第九を創りはじめた。

その当時では交響曲に合唱を挿入することはありえない話で、
理解もされず、非難された楽曲となった‥。

しかしながら、そのベートベンが全身全霊を注ぎ創りあげた第九は、
21世紀の今も、世界中で多くの人に愛されて歌い継がれている‥。

第九の楽曲の根幹は

「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!!」

第九の曲のクライマックスは、その難聴になった自分自身との
葛藤、苦悩から歓喜に至るベートーベンの心中を表現していると‥。

※私、第九の合唱に参加したときにそのようにお聞きしました。






We Are The Worldは、

生きる人への希望となるために、

深い悲しみを乗り越えるために、

真心と善の心を持った人々の心をひとつにする。

そんな音楽の力を持った曲だと私は思います。


昨日、TVで発表された

「We Are the World 25 for Haiti」

観終わった私の心には熱いものがこみ上げてきました。


第九のように、これから先も人々が大きな悲しみを
乗り越えるべき時に、何度でも甦り、いつまでも歌い継がれる
そんな歌であってほしいです。

復興支援に従事するすべての人々が無事故でありますように。
一日でも早く、被災したすべての人々に笑顔が戻りますように。

そして、笑顔の日々(SmileDays)が訪れますように。







「わすれられないおくりもの」
2009年07月20日 (月) | 編集 |
 
しろ~です。

今日は、星まつりの日です。

 I せんせい(ボス)が前回書いていた記事を読んで、

 “わすれられないおくりもの” 作:スーザン・バーレイ

の本を思い出しました。

この本の原題は、「Badger'sPartinng Gift」
(アナグマの別れ・臨終の贈り物)
だそうです。

初めて読んだとき、目から一杯涙が出ましたけど、
いつ読んでも涙が溢れてきます。

みなさんはこの本を読んだことがありますか?

今日は、先に亡くなった仲間、知人、友人、家族、
いろんな人を想い、一日を過ごしています。

しかし…蒸し暑い一日ですね…。




わすれられないおくりもの(児童図書館・絵本の部屋)わすれられないおくりもの
(児童図書館・絵本の部屋)

(1986/10)
スーザン・バーレイ

商品詳細を見る





阿部 俊明展に行ってきました!
2009年05月08日 (金) | 編集 |
こんにちは、しろ~です

先日、記事とじゆう帳でお知らせしていました、

阿部 俊明 展に行ってまいりました

文章少なくして、みなさんに写真をみていただこうっと

その前に、阿部 俊明さんをあらためてご紹介します。

阿部 俊明(アベ トシアキ)
1948年1月25日、北海道中標津町生まれ。現在札幌在住。
地元で鮮魚店を営んでいた95年4月、車で市場へ向かう途中、
ダンプカーとすれ違おうとして残雪にハンドルをとられ側溝に転落。
病院に搬送されたが「頚椎損傷両上下肢機能全廃」と診断され、
首から下の身体機能を失った。
この事故で1年8カ月の入院をし、96年11月に退院。
リハビリの日々を送るが、口からの言葉だけでは意志を
伝えきれないもどかしさをきっかけに筆を口にくわえ始め、
その後、身近にあった花などを描くようになった。

最初期はサインペン彩色だったが、間もなく水彩画に替わる。
阿部さんの制作活動は今日まで続けている…。


↓絵の写真はクリックすると拡大します。

※額縁のガラスに周りの照明やカメラのストロボが
  写りこむため、斜めから撮影しています。
  ご了承ください。

IMG_5370_640.jpg
会場のようす。
観ているのはSmileDaysのゆっきー(男)です。


IMG_5314_640.jpg
阿部さん初期の作品
サインペン画の梅です。

IMG_5394_640.jpg
阿部さん初期の水彩画です。

IMG_5315_640.jpg
この絵の詩に、心を打たれました。

IMG_5326_640.jpg
雪の中から出てきた福寿草
生命の力強さを感じました。

IMG_5320_640.jpg
阿部さんの住む札幌の自宅から見える景色だそうです。
この絵の完成には3ヶ月以上かかったとか。
細部まで本当に細やかなに描かれています。

IMG_5407_640.jpg
あけびです。
ツルの部分をよく見てください。
すごいですよ。

IMG_5410_640_20090507113629.jpg
あやめです。
色彩の表現が豊かで、
絵に引き込まれそうです。

IMG_5409_640.jpg
躍動感のあるリスたち。
楽しそうです。

IMG_5400_640.jpg
冬支度をするリスの雰囲気が
伝わってきます。
毛並みをよくごらんください。

IMG_5324_640.jpg
写真じゃありませんよ。
阿部さんの描いた絵です。
みずみずしさが溢れてます。
圧巻です。



私は、絵を観る数日前に、障害を生まれ持った
方のこんな話を聞いたばかりでした。

「体が不自由な事は不便ではあるが
 それが不幸なのではない。
 その事実を受け止める心がどうあるかが、
 本当の幸、不幸を決めている。
 自分の心が弱ければ、どんなに恵まれた
 状況であっても悲嘆してしまう。
 だけど、自分の心が強くあれば、“私は不幸だ”
 と感じる自分の弱さを乗り越えて、
 心はいつだって自由自在です
 私は、充実した日々を生きています…」


阿部さんの絵には、この言葉を彷彿とさせる
躍動感と、生命力と、いのちの輝きを感じました。
阿部さんの絵に縁をして私もまたひとつ学ぶことが
出来たとともに、こころのキャパが大きくなった気がします。



詩画 “阿部 俊明 展”は、

5月10日(日)まで開催中です。

日時:5月2(土)~5月10(日)
開場時間:午前10時~午後5時まで
会場:香森の館(無料駐車場あり)
会場住所→福岡県うきは市吉井町千年(よしいまちちとせ)248番


福岡県うきは市吉井町千年248番←Googleで地図をみる方はクリック

入場無料です。
会場に行けば、ビッグママに会えるかも!
なお、会場に展示している阿部さんの作品は、
すべて原画ですよ。

会場内で阿部さんの作品の複製画や、絵はがき、
詩画集の購入もできますよ

わたしも、ゆっきーも買っちゃいました

どうしても行けないけど、絵を観たい方は
詩画集がインターネットで購入できますよ。

生きる喜び絵筆にこめて 阿部俊明詩画集生きる喜び絵筆にこめて 阿部俊明詩画集
(2002/09)
阿部 俊明

商品詳細を見る

生きる喜び絵筆にこめて―阿部俊明詩画集〈第2集〉生きる喜び絵筆にこめて―阿部俊明詩画集〈第2集〉
(2004/08)
阿部 俊明

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阿部さんの絵を一人でも多くの方に観ていただきたい
阿部さんの事を一人でも多くの方に知っていただきたい 
との、会場の主:ビッグママのご要望により作品の撮影と
当ブログでのご紹介をさせていただきました




おまけ

会場の“香森の館”に猫の親子住み着いています。

香森の主、ビッグママが困った顔しながらも、
かわいがってるのがとてもおかしかったです。
子猫は4匹、とても元気にお庭を駆けてました。
子猫の飼い主を募集中です!
(母猫の同意はもらってないけど)

IMG_5332_640.jpg
母猫にごはんをあげてるビッグママ

IMG_5375_640.jpg
同じ柄の親子です。
かわいいですね~。



桜さくらサクラSAKURA
2009年04月06日 (月) | 編集 |
先日、私の後輩で看護師(男)をしている
友達と久しぶりに会って話をしました。
彼は、看護師の仕事を通して、命ってなんだろう?と日々考えている。
わかってる顔して仕事してるけど、心の中では納得のできる答えが
出てこなくて悶々としていると悩みを打ち明けてくれた。
男同士、向かい合って話すのは少々気持ち悪いので、桜の木を眺めながら
桜を話を中心にして私は彼と、命ってなんだろう?って対話をした。





この桜が土から芽を出したのはいつの日だろうか。

しっかりとした根を張るまで、苗木は、支えが無いと倒れてしまう。

そして、小さな桜は、一生懸命に花を咲かせても小さくて、大きな桜に比べれば見劣りする。

でも、やがて時の経つにつれて、冬の寒さ(逆境)を幾度も乗り越えて、

少しずつ成長し、支えも必要としなくなって自立する。

そして、気付けば花もたくさん咲くようになる。

夏の暑さには、たくさんの葉で日陰を作って、虫や、鳥、わたしたちを日差しから守ってくれる。

秋には紅葉をはじめて、私たちの目を和ませ、落葉がはじまると私たちに
生命の儚(はかな)さを教え、大地に落ちた葉は、次なる生のために栄養となる。

冬の逆境には、枝には何もなく、厳しい寒さ、容赦ない風、冷たい雪のストレスを
耐え忍びながらも、つぼみを作り、力を蓄えて、春が来ることを信じて待っている。

春には、一生懸命に満開の花を見せてくれて、私たちの心を癒し、
鳥たちはその蜜で命をつなげる。

メジロとサクラ


桜は、冬の厳しさを何十年も繰り返し耐えこらえて、その間に成長を遂げている。

桜は、木としての生涯があり、四季を通しての生涯があることを教えてくれる。

人に置き換えてとらえれば、人生の生涯と、日々の生涯ということだろうか。

桜の四季の営みや生涯は人間の日々や生涯とも似ている。
また、桜にも、私たち人間にも、生老病死がある。

桜は春が来ると、早咲きの木もあれば、遅咲きの木もある。
一本の木にだって、早く咲くところと遅咲きの枝がある。
早起きの人、朝の弱い人、寝坊する人がいるように。
まだ眠りたいと思ってもやがては目を覚まし、
(春をむかえた桜のように)
準備をして外に出かけて、太陽の灯りと温もりのなかで、
仕事や勉強に励み、お互いに何かを与え、もらい、何かを学び、教える。
(葉が太陽の光で呼吸をし、その木陰で私たちを日差しから守る夏のように)
それらを終えて家に帰り夜を迎え、疲れを労い
(一夏を乗り越えて、紅葉を始める秋のように)
寝たくないと思ってもやがては寝てしまう。
(寒さを耐えるために葉が散って冬を迎えるように)

人も、桜も世に生まれて、時間とともに育ち、生涯のどこかで
様々なストレス(病)や、困難(苦)を通して、生き抜くための力や、
知恵や忍耐と共に大切なことを学んだり、気付いたりして、(心の成長)
さらに成長をし、(立派な大人になり)やがて、老いていき、
枯れ朽ちて(死)、土となり、水になり、空気の中にも溶け込んで、
大地(この地球)へと還ってゆく。

桜の木が無くなった場所にはなにも無くても、そこに桜があったのだ
と知ってる人の心の中に、形はなくしてもなお留まって生き続けるように、
私たちも、先に亡くなった方々が今も心の中に生きている。

私たちの体は、科学や医学の世界で見れば、
炭素などの有機物や、水、鉄、亜鉛といった金属などの無機物、
ミトコンドリア(別の生命体)、などなど様々なものから構成されている。

たとえば、私の体が死を迎えて、この世から消滅しても、
私の命のかけら(上記の)は、この星の水や、土、空気へと溶け込んでいく。
そうならないなんてことはない。

と考えると、私たちの触れている大地も、吸っている空気も、飲んでいる水も、
着ている服も、乗ってる車も、住んでる家もやっぱり生命なのだなと感じる。

むずかしい事ではなく、桜や人の命が、自然が、教えてくれていること。

どんな時代になっても、どれほど時間が経っていても、
人の心や命も、繰り返す生命のサイクルは変わっていない。

どんな大きさの桜であっても、そして、人の集まる場所とか、
深い山奥とかに関係なく、春が来れば一生懸命に満開の花を
咲かせ、虫や、鳥たちの命を助け、私たちの心にもいろんな
ものを与えてくれるように、私たち人間だって生まれや育ち、
環境、運命が人それぞれ違うけど、自分のいる場所で、
自分に縁のある人と支え合い、自分の人生を一生懸命に
生きることこそが、尊いのではないだろうか…。

健康に生きていても、やる気がない、希望の無い、目標のまったく
ない人生は、本当の健康とは言えない。

病気をしていても、その体験が人の心の傷や、痛みを理解できる力になり、
私たちのように日々、対話をし、相手の心に希望や温もり、顔には笑顔を
与えている人は、むしろそのほうが元気なのではないだろうか…。


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気付けばあっという間に2時間も話をしていました。
わたしたち二人の対話に、答えは無いのかもしれません。
でも、対話をすること。価値観を分かち合うこと。お互いの意識を感じること。
お互いにこうした話ができて、私も彼も、心の中には
温かいものが広がっていくのを感じました。

次に会うときは、もっと深くて、濃い話ができるかもね。
それまで自分らしく、一生懸命にがんばれよ~!!



~あとがき~
彼はブログを読んでいる読者の一人です。
彼の了承を得て、対話の内容のおおまかなところを掲載しました。
どうも、ありがとう! 


記:しろ~

※写真はそれぞれクリックすると拡大します。


おしまい



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