2008.05.21 Wed
前回からの続きです。
発病からおよそ1週間の間…。
それまでに、私の元に学校の先生や友達が数名お見舞いに来てくれたのですが、
今でも残ってる記憶の一つに、担任の先生がかわいいコアラのぬいぐるみを
私の元へ持ってきてくれました。
このコアラのぬいぐるみは、ボロボロになるまで、
戴いておよそ10年くらい私は大切にしていました。
先生は、私に笑顔であれこれ話しかけてくれるのですが、
先生の目の奥に不安げな悲しい何かを感じ取りました。
自分の病気が何かを知らない私は、先生の悲しい目の意味が
わかりませんでしたが、あとで母に聞くと、
先生は母から病名も状況も聞いてたようです。
そういえば、このあいだ母がこんなことを話してくれました。
母いわく
あの当時、私は、先生や看護士さんの振る舞いを見て、
しろ〜がいま、どういう状況なのか、私がいまどんな
状況に立たされてるのかを探って感じていたけど、
ふとアナタの方に目をやると、アナタは私の目を見つめて、
私の心の奥にある感情を読み取って自分の状況を探っていたの。
子供は、親の目を見るんだ…って思った。
それに気づいて、私はあなたの前では意地はってでも不安な顔や、
そういう目をしないように気をつけた…。
さすが、母は強い。
子供は、大人の目の中を見るんだな…って、こんな話や、
先生の事を思い出して大人になった自分は痛感しています。
話がちょっと脱線しましたけど、ここで言っておかないとと思って。
1984年11月7日。
大雨の降る薄暗いお天気の中、病院の前で担任の先生に
心配そうに見送られて、私は早朝に救急車(ドクターカー)で
久留米大学病院へと搬送される事になりました…。
乗せられてすぐに眠った私は、高速道路をサイレンを鳴らして
走る車内で、突然目を覚まして泣いたことをまだ覚えています。
久留米大学病院に到着して、ストレッチャーに乗せられてどこかへ
運ばれる私は、不安と恐怖でただただ泣き喚いていました…。
私と白血病<ALL> その4(しろ〜の闘病記)へ続く
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発病からおよそ1週間の間…。
それまでに、私の元に学校の先生や友達が数名お見舞いに来てくれたのですが、
今でも残ってる記憶の一つに、担任の先生がかわいいコアラのぬいぐるみを
私の元へ持ってきてくれました。
このコアラのぬいぐるみは、ボロボロになるまで、
戴いておよそ10年くらい私は大切にしていました。
先生は、私に笑顔であれこれ話しかけてくれるのですが、
先生の目の奥に不安げな悲しい何かを感じ取りました。
自分の病気が何かを知らない私は、先生の悲しい目の意味が
わかりませんでしたが、あとで母に聞くと、
先生は母から病名も状況も聞いてたようです。
そういえば、このあいだ母がこんなことを話してくれました。
母いわく
あの当時、私は、先生や看護士さんの振る舞いを見て、
しろ〜がいま、どういう状況なのか、私がいまどんな
状況に立たされてるのかを探って感じていたけど、
ふとアナタの方に目をやると、アナタは私の目を見つめて、
私の心の奥にある感情を読み取って自分の状況を探っていたの。
子供は、親の目を見るんだ…って思った。
それに気づいて、私はあなたの前では意地はってでも不安な顔や、
そういう目をしないように気をつけた…。
さすが、母は強い。
子供は、大人の目の中を見るんだな…って、こんな話や、
先生の事を思い出して大人になった自分は痛感しています。
話がちょっと脱線しましたけど、ここで言っておかないとと思って。
1984年11月7日。
大雨の降る薄暗いお天気の中、病院の前で担任の先生に
心配そうに見送られて、私は早朝に救急車(ドクターカー)で
久留米大学病院へと搬送される事になりました…。
乗せられてすぐに眠った私は、高速道路をサイレンを鳴らして
走る車内で、突然目を覚まして泣いたことをまだ覚えています。
久留米大学病院に到着して、ストレッチャーに乗せられてどこかへ
運ばれる私は、不安と恐怖でただただ泣き喚いていました…。
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2008.05.16 Fri
1984年10月31日…
この日から私の白血病との闘いは始りました…。
ピッカピカぁ〜
の小学1年生。まだまだ、新しい黄色い帽子と黄色のランドセル
(皮製じゃなくて、学校指定のナイロン製のリュックでした)を身につけて、
毎日元気よく学校へと通学していたちょっと背が小さかったけど、
フツーの6歳の男の子
でした。この日までは…。
この日、私の通う小学校では学校の行事で、午後から
校庭にてお祭りが開催されていました。
4.5.6年生がそれぞれ工夫して個性のあるお店を出して、
1.2.3年生は支給される紙で作られた回数券みたいなチケットで
自分の行きたいお店でお買い物したり、遊んだりするという粋なお祭り。
私は自分で自由に使えるそのチケットで、いろんなお店を見てまわり、
唯一記憶に残っている“ザリガニ釣り”のお店にたどり着いたのです。
初めての“ザリガニ釣り”
大きなビニールのプールに、大きくて真っ赤なアメリカザリガニから、
小さなフツーのうす茶色のザリガニまでたくさんいました。
先輩たちの手ほどきを受けて、エサを入れてみるとすぐ釣れました。
金魚すくいのようなビニール袋に釣れたザリガニを入れてくれたのです。
ザリガニは頭には目と目の間に☆のような傷があって、最初は
なんとなく気に入らなかったのですが、でも、自分が釣った初めて
見るザリガニだから興味津々で、教室に戻ってからもジっと眺めて見てました…。
ホームルームが済んで、最後のお約束
「先生さようなら、みなさんさようなら!」を
言って礼をした時、一瞬だけ“めまい”がしました。
なんか変だな…っていうより、怖い感覚を感じました。
その時の感情は、今も残っています…。
靴を履いて、校舎をあとにして門へ向かって歩き出した時、
さっきよりも大きな“めまい”に襲われて、私は貧血で倒れました。
どのくらい時間が経ったのか、わかりません…。
かすかな意識の中で、遠くから声が聞こえてきます。
同級生の声でした。
「しろ〜くんが寝てる!」
…いやいや、寝てるんじゃないてばっ。
なんて気の利いたツッコミができるような年頃じゃありません。
「どうしたの?」 って聞かれたようですが、返事もおぼつかず、
同級生は先生を呼びに走っていきました。
しばらく放置されて…
先生が「しろ〜くん、どうしたの?」って
大きな声で呼びながら走ってきました。
断続的に意識がとぶ中で、誰かに抱えられて、気づいたら保健室にいました。
ようやく意識も戻り、覗き込む担任の先生と保健の先生の顔が目に入りました。
…顔が近い!!っていうツッコミができる年頃…というより、そんな状況じゃなかった。
担任の先生からお母さんには連絡したから、迎えに来るよ」「って、
言われて私は“ホッ”としました。
母が来るのを、先生と話をしながら待ちました。
「きっと、遊びすぎて疲れたのかな?」なんて言葉を聞きながら…。
母がようやく迎えに来てくれ、私は歩けなくて、おんぶされて帰りました。
Vサインしかできないザリガニもね…。
その日の夜は熱も出て、いつもの元気が無いのを見て、
両親は私を病院
へと連れて行きました。あちこちを診られ、身体にアザがいくつかあるのを指摘され、
血液検査をされ、結果が出たら、もう一度血を採られて…

その日は結局、一晩中だったでしょうか…。
何度も血を採られて、痛くて泣いて泣いて

クタクタになっていました。
今考えると、このときに診てくれた先生が異変に気づいたから
間に合った、助かったと思います。
実は、8月頃から鼻血が頻繁に出て、
その頃からすでに異変はあったのです。
ですが、両親は「ただのハシャギ過ぎ」ぐらいにしか
思ってなく、さほど気にしていませんでした。
ようやく家に帰れるかと思いきや“即入院”
私は、相変わらずハッキリしない意識の中で
病院のベッドに寝かせれていました。
食事の時間…。
食欲もあまり無くて、飲み物しか口に入りませんでした。
そうそう、あの当時は、病院食にビンの牛乳が出ていました。
(たしか、HOMOとミドリ牛乳。俺の記憶力って…もったいない)
自分に何が起こっているのかがわからない…。
自分がどうして入院しているのか、意味がわからない。
いつになったら帰れるのかわからない。
どうして、母はそんなに暗い顔してるのかわからない…。
…このとき、すでに両親は、ドクターから「白血病の疑いが強い」と告知を
されていました…。
そんな事とは知らずに「早く帰りたい…」と、私はわがままを言っていました。
次回へ続く…
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2008.05.12 Mon
しろ〜です。
いきなりですが…
ぶっちゃけたことを申しますと…
SMILEDAYSの中で しろ〜 は…
ごく最近まで存在のあまり知られてないメンバーでした。
スマイルデイズのメンバーからは、
「誰??どんな人??」って言われる事もけっこうあったり

なぜかと言えば、“多忙”の為でして。
スケジュールが合わなくて、スマイルデイズの集まりなどに
ほとんど参加できなくて、ホントにごく最近、
このブログや韓国への訪問をキッカケに
活動をはじめたばかりなのです。
そこで、私のことを紹介する意味も含めて…
そろそろ、自分の闘病記を書いて残しておかねば。
と思い続けて、ようやくその時を迎えました。
4月6日の記事でも予告してましたので(もう1ヶ月経ってるし)
今から書き始めます。
とりあえず今回は、全体のあらすじ…とでももうしましょうか。
ひとまず、全体をお話してから、細かいところを後々紹介したいと
思います。
※前置きがダラダラしてごめんなさい。
★プロフィール
1978年生まれの現在30歳。
6歳の時に急性リンパ性白血病を発症。
3年間の化学治療(放射線治療はしていません)を経て、
20歳まで経過観察。白血病を克服(寛解)する。
★私と家族
発病前の私の家は、大貧乏でした。
父の経営するお店の従業員が、父が病気で倒れて
入院している間に客先へ集金にまわり、そのお金を
持ち逃げしたために負債を抱え経営が困難になって、
廃業したためでした。
という事情があって家の中は、弱肉強食のサバンナ状態。
食べる事にもホントに苦労した家庭環境でした。
両親は男4人の兄弟+里親として孤児の兄妹2人を
育ててましたので、合計8人の大家族。
(※しろ〜は4人兄弟の末っ子)
+たまに知らない人も転がり込んで、
貧乏だけどいつもにぎやかな家でした。
電気・ガス・水道のライフラインが地震とかの災害じゃなく、
ただ単純にお金が払えなくて止まるのは、いつもの事。
ろうそくで夜を過ごした事も、公園に水を汲みに行った事もありました。
※この当時はそんな貧乏さんもわりと多かったと思いますが。
★白血病との出会い。
4〜5歳の頃まで、股関節の骨にヘルペスを患って、入院。
退院後も足に負担をかけないように、保育園に通う時は歩行器を着用しての生活。
いつもバカにされて、追いかけるけど追いつかなくて…。
悔しい思いもたくさんしました。
小学校入学前に歩行器もようやく外れて、1984年小学校へ入学。
フツーの小学生でいるはずだったけど、夏休みの8月中旬頃から頻繁に
鼻血が出るようになった。
そして、同年10月31日
この日は学校でお祭りがあって、出店で釣ったザリガニを手に持って
学校の敷地で下校中に貧血をおこして倒れ、そのまま病院へ。
※同級生に発見された。
血液検査で異常があり、白血病と診断される。
数日後に北九州では治療できる病院が無くて、
久留米大学病院まで救急車で搬送される。
(※ザリガニも一緒に…)
朦朧(もうろう)とする意識の中で、自分に何が起きてるのかを
理解できぬまま様々な検査を受ける。
通称“マルク”と言われる骨髄穿刺(こつずいせんし)を受ける。
腰の骨に太い針を刺して、骨の中にできている骨髄を採取する
かなりの激痛と恐怖を伴う検査を意味もわからずに連日やる。
1番上の20歳の兄が俺の過酷な治療を見て、
ドクターと話をして、両親の反対を押し切って、
「意味もわからないでこのまま治療は続けられない」
と私に告知をする。
兄の告知を受けてからの私は、「死にたくない」と思うばかり。
同じ部屋にいた子が、朝にはいなくなったりしてたのを
見ていたからなおさら怖い。
次第に寝るのも怖くなる。
「朝、本当に目が覚めるだろうか?」と。
★大切な出会い
当時は白血病は不治の病とまで言われていた。
医者も「治ります」とは軽軽しく言えない時代。
私のまわりにいる大人の誰もが「治る」って言えなかったけど、
ある人との出会いが私に勇気を与えてくれた。
まっすぐな目で私を見つめて、「大丈夫!必ず治るからな!」って、
言ってくれた言葉に、私はこの言葉を信じようと思った。
その人物との出会いから、「死にたくない」は生きたいに変わった。
★失った仲間、友人たち
私は1ヶ月に1度、外来へ行って検査後に1週間入院して、
残りの3週間は自宅療養をする治療が3年も続いた。
治療をしてる期間に仲良くなった友人達ともたくさんお別れがありました。
★克服〜生き方の迷い〜心こそ大切
10歳の秋、治療のスパンとして3年間の化学治療を受けた私は、
治療後の経過も異常なく、白血病を克服する事ができました。
小学校・中学校・高校とハッキリ言って勉強に頭がついていけない、
体力も運動神経も人並み以下。
長い事イジメの対象になる(※もちろんイジメる奴が100%悪い)
楽しい学校生活とは言えなかったけど、でも学校には負けずに通う。
コンプレックスをバネにしたくて、高校生の時から、人とは違うところで
自分を鍛えようと様々なことに挑戦した。
でも、何をやっても満足できない。なにか違う。と思うばかり。
病気を乗り越えてから月日は過ぎて、もう辛い事は忘れたい。
そんな気持ちも多々ありました。だけど次第に、
「俺はなんで生かされたんだ?俺に何かもっとやらなくちゃいけない事があるのか?」
と思う事が胸の奥から湧きおこって、私を悩ませました。
でも、あることがキッカケで答えがわかった…。
病気を通して、苦しい事や辛い事を乗り越えていくと、
それが大きな成長の糧になることを
改めて最近感じます。
勉強が追いつかなかったり、体力が無かったり、
コンプレックスもたくさんありました。
だけど、それに負けてばかりな自分はイヤなので、
様々な事へいままで果敢に挑戦してきました。
成長していくなかで、当たり前の日常が、
とても大切な時間であると気付いたり、
生も死も隣り合わせで自分のそばにあることを感じたり、
ささいな事が幸せで楽しめる価値観を得たり、
人の痛みがわかる優しい自分に変わったり、
深い感謝の気持ちが素直に出せたり…。
そして、成長した自分を通して、家族や、
また自分の人脈にも大きな影響を与えていくんです。
そうした経験が人の役に立ち、自分の存在価値を高め、
人に頼られる自分へと変化をもたらしてくれました。
無駄かもと思うような苦労も、必ず自分の役に立つのですから
避けないで、受けきってほしい。
その事を、コレを読んでる方や経験者のみんなにも伝えたい。
そう思って、この記事を書いています。
30年の人生で私が経験したことが、一人でもいいから
誰かの役に立つなら、希望になるなら…。
2008年4月8日 久留米大学病院 新入生オリエンテーションで
お話した内容から抜粋して、追記・引用した全体のあらすじです。
次回以降、このあらすじに沿って、少しずつお話をしていきます。
記:しろ〜
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2008.04.06 Sun
しろ〜です

私は来週、8日(火)
久留米大学病院の医学部新1年生の
みなさんに会いに行きます。
新入生のオリエンテーションに一緒に参加して、
みなさんの前で、
発病→治療→克服→社会復帰→現在に至るまで、
私が感じてきたこと等を
お話する機会をボスからいただきました。
そこで何をお話すればよいのか…。
今もまだ模索してます

私はこのSMILEDAYSのブログを立ち上げて、
メンバーの小児がん経験者や、
現在も告知を受けて闘病中の患者、
家族、医療者、その他の知人や友人の交流が
もっと深まればと願ってきました。
それと、自分が久留米で定期的に行われていた、
SMILEDAYSの定例会やイベントになかなか参加する
事ができない事もあり、私と同じように仲間に会いたいけど、
仕事や、体調などを理由に会いにいけない。
そういった方たちにも、SMILEDAYSのメンバーと
日常から繋がりが持てればと思ってブログの作成を
始めたのでした。
現在、闘病中で、不安をたくさん抱えている患児。
子供とどう接していけばよいのか悩んでいるご両親。
克服したのはいいが、人生に迷いがあって、
これからどうすればよいか行き詰まってる経験者の方。
過去にも、現在にも、そして未来にも、
私達が歩んだように、これからもこのような
悩みを抱えた方たちが続いていきます。
時代が何年、何十年と過ぎて、医学の飛躍的な進歩があっても、
闘病者の環境は様々に改善されても、人生や心の中に沸き起こる様々な問題は、
本質も真実も“不変”だと私は思うのです。
“病”って、人生において遅かれ早かれどこかで必ず、
遭うものだと思うのですが、僕たちは早く縁してしまった。
私にとって、白血病は生死をかけた大きな病でした。
“白血病”と聞けば=死ぬ病気。
と思う方も多いはず。
TVのワイドショーなどで、芸能人の●●さんが白血病で無くなった。
そんなニュースもたまにあります。
今は、乗り越えて活躍するする方もたくさん出てきましたが。
今から24年も前のこと。
私の入院していた当時、医療現場の医療者達は、
私たち小児がん患者に対して模索の毎日でした。
「この薬を使って様子をみましょう…」
医者の口からは、このような言葉しか
でてきません。
当時、私たち小児がん患者に対して
「絶対に治りますよ!」
って断言できる医者は一人もいませんでした。
それくらい、医療者も患者も家族も、過酷な現実と
向き合わなければいけない闘争の毎日だったのです。
私は、これからこのブログに少しづつですが、
自分の闘病の記憶をたどりながら体験を載せて
いきたいと思います。
私の歩んできた道を、今も誰かが歩いてる。
迷ってる、行き詰まってる時って、真っ暗な空間で、
明かりも上下も左右も見失ってる様な感じ。
その暗闇で、光が見えたら自分がどっちに行けば
いいのか自分でわかるでしょ。
私は、いつも人の相談を受けた時によくこんなこと言います。
「 自分で後悔しない、納得できる答えは、
誰かがじゃなく、何かがでなく、
自分の心の中にしかないんだよ」って。
私の言葉が、あなたを笑顔にできるように。
私の体験が、あなたの希望(光)になるように。
そして、私もあなたも宿命が、使命に変わるように。
そう、切に願っています。
次回 私と白血病<ALL> その1 へ続く…。
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