小児がんと向きあう方々とともに…
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レジリエンス
2011年05月28日 (土) | 編集 |
どもども、しろ~です。

先日の記事の中で、一部抜粋して書かせていただいた

久留米大学病院の小児科の先生方の同門会誌に

Iせんせいからの推薦をいただいて寄稿をさせていただきました。

会誌は毎年発行されているようですが、

今年は レジリエンス がテーマということでした。


さっぱり意味がわかりませんでした。


そこで、ネット調べてみました。

簡単に行って良いものかわかりませんが、

簡単に言うと

困難を乗り越える力=レジリエンス(resilience)

つまり、逆境からの回復力みたいなものでしょうか。


災害などで生態系が破壊されても、乗り越えて

回復していくことも、レジリエンスと言われるようです。


Iせんせいが推薦してくれた理由がなんとなくわかる…。


ということで、書いた本人が自分のブログにも載せてみようと

思い、今日は掲載いたします。


はっきり言って、長文です。

覚悟して読んでください。







「僕と白血病~病いを生き抜くエネルギーへと変えていく~」

1984年、私が小学校1年の秋に、急性リンパ性白血病と診断された。

当時の白血病の生存率は2~3割であり、3年間もの化学療法が必要と告げられ、

家族は絶望感に打ちひしがれた。


当時、世の中の多くの人が、がん=死という捉え方をしている時代で、

大人のがんであっても告知は困難だった。

「志郎にちゃんと告知しないと、乗り越え難い病気なんだよ!」と

二十歳の兄は告知をしたがらない両親と大ゲンカをして説得し、

私に告知することを決意した。


兄は私と同じ目線になって、「お前の病気は、“白血病”と言って、

治療をしないと死ぬ病気だ。これから3年間、痛い検査や、強い薬を使う。

「頑張れるか?」と、目を潤ませながら言った。

私は「死にたくない!」と抱きついた。


化学療法の過酷な治療が始まると副作用は心身を蝕み、

毛の抜け落ちた容姿を見ず知らずの人に馬鹿にされ、

心は度々傷ついた。


両親や見舞い客たちの悲しい視線や、お世話をしてくれる

医療者が病室の前で悲しげにため息をつくのを見てしまったり、

病棟の仲間の容態が悪化したり、亡くなっていく毎に

ますます不安を募らせた。

ついには自分も死ぬのではないかと眠れないようになった。


母はそんな私を見て、仲間の亡くなったときの様子を

私が受け止められるように、ウソをつかず丁寧に

話してくれたが、死の恐怖は拭いきれなかった。


しかし、ある方から「大丈夫だよ!必ず治るよ!」と

真剣に励まされたことをきっかけに、死にたくない!から、

生きていきたい!という気持ちが生まれた。


それからは、病気との向き合い方がネガティブなものから

ポジティブなものへと変わり、自分が仲間や医療のために

貢献できればと思うようになった。


経験の浅いドクターに骨髄穿刺の練習していいよ!

なんて言うこともあった。


そして、3年間の治療を乗り越え、小学校にようやく復学した。

ところが、病気の影響からイジメに遭い、度を過ぎる悪戯は

高校を卒業するまで続いた。


社会人になっても、白血病だったことが就職や恋愛などの

人生の大切なところで私を何度も苦しめた。


「なぜ白血病が治った? こんなにも苦しいのに今もなぜ生きている?

 生きていて俺に一体何が出来るんだ?」悶々と悩み、

鬱になった時期もあり、生きる事への希望を失いかけた。


でもある日、知人から、『病気で悩んでいる人がいるから

会って話をしてもらいたい』と連絡をいただき、

一緒にお会いすることになった。


警戒する様子を見せていた相手の方に、

自分の闘病の話をさせてもらった。 すると別れ際、

『今日は、お話ができてうれしかったです。


健康な人から何を言われても、私にはイヤミにしか聞こえない心に

なっていましたが、あなたと話していたら、

こんなにも気持ちの通じる人がいたんだとわかって

心が楽になったし希望が持てました。

私も自分の心と自分の病気にちゃんと向き合います。

今日は本当にありがとう』

そう言われて、私は心の底から嬉しさがこみ上げてきた。


この出来事を通し、私も再びネガティブな自分から

抜け出すことができ、それから病気で悩んでいる方々に

積極的に話をするようになった。


おかげで、白血病を縁とした多くの出会いがあり、

私は次第に生きていることへ感謝できるようになった。


自分の宿命は、自分にしか果たせない使命に変えられる!

そして、病気そのものが不幸なのではなく、

病気と向き合おうとしない心の弱さが自分を不幸にしていたのだと

気づくことができた。


私は現在、小児がん経験者として

久留米大学病院の小児がん経験者の会

SmileDays(スマイルデイズ)で活動している。


“情熱と行動の九州男児”を名刺の肩書きに、

積極的に小児がんの仲間たちとの対話に

多くの時間を費やしている。


心の変化で病気が生きる糧に変わること、

今の悩みがいつの日か自分にしかできない使命に変わること、

そして、その自分の変化がまわりの人達へと良い影響を与えていくことなど、

今日までの自分が体験して学んだことを時間の許す限り

仲間たちと熱く語っては、自分自身も元気を補充している。


「一生懸命に生き抜いて、出会う人へ希望や勇気、

笑顔を贈りなさい、そして生きた証を1つでも多く残すんだよ!」

今は、白血病がそう言ってくれているようにさえ思える。

白血病の体験は私に大切なことをたくさん学ばせてくれた。

大切な出会いを与えてくれた。

私の生涯を充実した人生へと導いてくれる存在になった。


おわり。





この文を寄稿するにあたり、添削やアドバイスをくれた

友人の文才Yさんに感謝です。


ありがとう。










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病室での楽しみ
2010年06月10日 (木) | 編集 |

こんばんは。

昨晩と同じ時間に更新している

夜更かしと情熱と行動の九州男児 しろ~です。


闘病中にハマって観ていたTVが

トムとジェリー

ゆっくりと過ぎていく退屈な病棟の時間を

忘れさせてくれるお気に入りのアニメでした。


絶体絶命のピンチになった時のいさぎよいトムの覚悟の決め方。

小さいのに賢く、トムを翻弄して、トムが降参したときは

優しく手を差し伸べるジェリー。

ドルーピーをはじめとする脇役の愉快な仲間たち。

30歳を過ぎて、オチがわかっていても

素直に笑える素敵なアニメです。


特に、大好きなのがコレ↓(PCで観てね)

トムとジェリーの真ん中話のお気に入り

YouTubeで見つけたときは、感動しました。

絵も古いし、古典的なギャグとリアクションの塊のようなアニメだけど、

近頃の描写のリアリティや3Dといったところにクオリティーを

重視する作品よりもずっとずっと僕は好きです。


世代や時代を超えて、いつまでも笑わせてくれる愛する作品たちです。


おっさんになっても、じいちゃんになっても、

トムとジェリーを観たら爆笑できる

そんな歳のとり方したかも。



みなさんの好きなトムとジェリーの作品があったら

ぜひぜひ教えてほしいです。

ちなみに、最近は今頃?と思うでしょうけど、

“豆しば”にハマっています。

豆しばに癒されています。

よかったら、こちらものぞいてくださいね↓(PCでどうぞ!)

豆しばムービー

お見舞いの品々
2010年02月22日 (月) | 編集 |

確定申告前で、領収書の山をまえにやる気が
なくなった自営業のしろ~です。
※ちゃんと納税しますよ!


今日はひさしぶりに、闘病していたときのことを書きます。
といっても、白血病のときのことではなく、
晩期合併症ともいうべき私の“C型肝炎”のことです。

平成15年の1月20日から半年間にわたって
インターフェロンとリバビリンの併用治療をしました。
※いまも完治してないので、まだキャリアですが。

インターフェロンの副作用に体を慣らすために、
3週間入院していたときのこと。

私の入院を知っている知人や友人たちはお見舞いに来てくれました。

入院前に地元の後輩たちから

「お見舞いに行きますね!差し入れは何がいいですか?」

と、何人かに聞かれたので、彼らがお金の無いことを気遣って、
なにも要らないよ!って言っても、それでは気がすまないだろうし‥

そう思って私は適当に

「うまい棒」
でいいよ!

って言っておいたのです。


入院数日後。

お見舞いに来てくれた後輩たちは、お約束のように
いろんな味のうまい棒を大量に買って持ってきてくれました。

顔をひきつらせながら「あ、ありがとう!(マジで買ってきたな‥)」って
思いながら談笑をして、御礼を言って彼らを見送りました。

その翌日。

前日に来れなかった別の後輩も、うまい棒を持ってやってきました。

その翌日も、前日、前々日のお見舞いに来てくれた後輩に聞いたらしく、
私の先輩がうまい棒を持ってやってきました。

そんな感じで、うまい棒の連鎖は続いて‥

そして、私のベッドのヨコにある棚には、いろんな味のうまい棒で
埋め尽くされました‥。その数、およそ100本
うまい棒の専門店が開けそうな勢いでした

こんなに食べれるか!!



ということで、

その後にお見舞いにきた人に10本づつ持って帰っていただきました。


白血病を患っていたこどものときに、お見舞いで貰ってうれしかったのは、
プリンとレモンケーキでした。


ついでに‥

私の兄が盲腸で入院したときに、友達から
12ロール入ったトイレットペーパー、5個入りのテッシュ、
1リットルのしょうゆ、1.5キロの粉洗剤、食器洗剤etcと
入院には不要なものばかりを貰って、笑いすぎて傷口が開いちゃいました。

私も、

「兄貴! 盲腸、もう超痛いやろ?」と親父ギャグで笑わせて、
傷口を痛がる兄を見て、日頃の恨みを晴らしました‥。
※あ、兄弟仲はとても良好ですので誤解の無いように‥


入院中って、病院食に飽きてくると、日常ではなんとも思わない
素朴な食べ物でも、ものすごく美味しく感じますよね。

コンビにのおでんとか、カップラーメンでさえも‥。


みなさんなら、お見舞いに何を持っていきますか?

そして、何を貰ったらうれしいですか?




ディズニーランドにまだ行ったことがない…
2009年11月30日 (月) | 編集 |

こんばんは、しろ~です。

I せんせいが千葉から帰ってきたばかりのようですね。

今日のタイトルの理由を今夜はお話しましょう。


まだ私が治療中の当時。

私よりも少し小さな男の子がいました。

その子がいつになくはしゃいで、
「今度、ディズニーランドに行くんだよ!」
って会う人、会う人に自慢をしていました。

それを聞いて、ちょっとイラッとした私。

病室に帰り、おふくろにその子の話をして、
「いいよな~、俺もディズニーランドに行きたいよ」
ってぼやいたんです。

その一言を聞いたとたん
おふくろの顔つきが一瞬で変わりました。

「ちょっとあんた、こっち来なさい」と、
私の手を引っ張り、EVホールまで連れ出されました。

病棟の仲間が亡くなったりしたときに、
私より小さい子達はお母さんたちから
「よその病院に変わったのよ」とか、「退院したのよ」って
言われていました。

でも私は、告知をされていたので、こうした状況があると
おふくろに聞き、おふくろは私に丁寧に事情を教えてくれていました。

でも、この日はなんだか様子が違っていました。

おふくろは、私にこわい顔して口を開きました。

「あの子は、治療がもう続けられなくなったの。
それで、先生から家族で思い出作りをしてくださいって
言われて、ディズニーランドに行くことになったの」

その短い言葉とおふくろの顔を見て、すごく反省しました。



その子は、予定通りに家族とディズニーランドに行き、
しばらくしてお星様になりました。


31歳になったいまでも、私はディズニーランドに行ったことが
ありません。

トラウマとかではなくて…なんか申し訳ない気持ちと、
きっと、行ったとしても素直に楽しめないだろうな…
行きたい!とは思わないって思う…そんな心境です。

結婚して、子供ができて、パパにでもなっちゃったら、
私の気持ちもまた違うのでしょうけどね。


…ということで、来月はUSJに行く予定です。

こっちは、楽しみにしています





C型肝炎のこと その2
2009年01月09日 (金) | 編集 |
しろ~です。

前回の続きをどうぞ。





私が投与していたインターフェロンは1回につき3600円。
それが週3回で10800円。
リバビリンは1週間分でたしか8000円。

一週間におよそ20000円が治療費に消えていく…。
1ヶ月の請求は、80000円を超えていました。

当時は高額医療費の制度も貸付制度しかなくて、
詳しく言うと、
毎月、いったん病院の窓口で精算して、それから
社会保険事務所に病院で出してもらった証明書を
持参して、申請書に記入して、その1ヶ月後に
支払った治療費の自己負担上限をオーバーした分の
8割が戻ってきて、そのさらに2ヶ月後に残りの端数の
金額が返還されるというなんともめんどくさくて、ややこしくて、
お年寄りや体の不自由な人や、私みたいに通院でキツイ治療
をしている人にとっては、とても負担がかかるようなヒドイ制度でした。
(当時の私の所得では、自己負担額の上限が最初の3ヶ月が
76000円でそれ以降は42000円くらいだったかな)


現在の高額医療助成制度は、そうしたわずらわしさや、
患者の経済苦を緩和するために病院の窓口で自己負担額を
支払えば、自動的にあとは病院が国民保険、社会保険などと
やりとりするようになって、とっても簡単になりました。

会社を辞めて、収入が減って、アルバイトで治療のための
時間とお金を工面するのにとっても苦労した経験は未だに
忘れられません。

ただ…

私はまだ完治はしていません。
治療の成果があって、肝機能が正常に戻り、
いちおう、健康な体になっただけです。

治療前はとにかく毎日、体が重い、だるい…。
治療後は、体力が戻るにつれて、体がとても
軽くなったのを実感しました。

しかし…

私の体には、いわば時限爆弾がついている…
といったところでしょうか。

これから先、数年から十数年経ったらもう一度、
肝炎の治療が必要になるかもしれません。

薬害肝炎の報道をTVで見ていると、知らず知らずに
感染した俺たちは放置か?っていつも思っていました。

C型肝炎治療が終わったとき、主治医からこんな事を言われました。
「私のところでインターフェロン治療をしたほとんどの患者が、
経済苦や、精神的な苦痛に耐えられなくて、治療の途中で
やめる人がほとんどだけど、君はホントに良く頑張ったね!」って。

白血病の治療を乗り越えてきた経験があったからこその
忍耐力のおかげだな…。
後々ですが、そう、つくづく思いました。

生老病死。
人の生涯のなかで避けられない、すべての人に備わっている運命。
この世に生まれ、日々老いていき、病気に罹り、いつの日か
誰もが死を迎える。

病気は私に大切な事を教えてくれました。

病気をしたときの辛かったことや、乗り越えたときの喜び、
仲間を失ったときの悲しみ、支えてくれた人たちへの感謝。
病気に罹った人は、乗り越えたあとに生きることへの感謝や、
他への優しさ、自分にしか出来ない使命を知る事など、
人生に深みが増します。

医療従事者以上に、病気の体験をした人こそが、
いま病気で苦しんでいる患者さんやその家族の
不安を払い、その方たちの未来に希望を与える
ことのできる存在であり、そして、その行動こそが
自分の病気の体験や、自分の存在の意味を自分で
知るための大事な作業になるのだと私は申し上げたい。

C型肝炎に限らず、さまざまな難病や、重い病気と向き合う
患者にとって、法の整備が進み、新しい治療法や、治療の
為の環境がもっともっと良くなり、それによって救われた病気を
した人たちが、多くの人たちに生きている事への感謝や、
人生の深さや、命の大切さ、生命の重さ、大切な事を伝える事が
できれば、一人でも多くの人々の心により豊かな感性や価値観を
与えて、お互いが自分も他人も大切にできるような世の中になって
ほしいと私は心の底から望んでいます。



終わり。




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